本書は、三重県をフィールドに部落問題研究に長年精力的に取り組んでこられた黒川みどり氏による、三重県の部落問題に関する明治維新期から第2次大戦期までの実証的・通史的研究である。通史であるため内容は多岐にわたるが、各章の内容や分析の特徴をまず述べる。
第1章「『解放令』と『旧習』の温存」では、「解放令」の時期が取り上げられている。被差別部落では、「身を清め」て「平民同様」になる動きや「平等」を強く要求する事例がある一方、部落外民衆の側は「けがれ」を理由に差別を続け、為政者もこれを「旧習」として追認していったという。この時期を三重県の事例だけで明らかにすることは、やはり史料的に困難であり、地域事例をさらに発掘し論理化する必要があろう。
第2章では、1880年代から90年代の時期が取り上げられる。その際重視されるのは「特殊化」の「標識」がどのように成立するかということである。そして、松方デフレ期に進行した貧困化、衛生条件の悪さや伝染病が、「新平種族」などの認識を生み出す契機だった。そして「人情風俗ともに異なる」被差別部落が、町村制施行時の合併に際して排除され、被差別部落側では「特殊」視払拭のため「国民化」への努力が開始された。
第3章では、日露戦後の「部落改善政策の展開と人種主義の定着」が取り上げられる。三重県は、日露戦後に着手される部落改善政策の全国的先駆けであり、特に重要な意味を持つ。改善政策は、有松英義知事と竹葉寅一郎らによって推進された。彼らは、まず犯罪防止に着目した。部落上層部を巻き込み警察主導で設立された改善団体は、伝染病対策・就学督励・神社合祀・税滞納矯正などに取り組んだ。ここで黒川氏が特に重視するのは、改善運動が「人種主義の定着」に果たした役割である。県当局は、日露戦後の「一等国」意識=民族差別意識を背景に、被差別部落を朝鮮人と同じ起源を持つ「特種」な「種族」として認識した。そして、この認識は「特種部落」という呼称とともに地域に受容されたという。改善政策に対しては、これに反対して差別の不当性を社会に訴える三重県同志会が結成され、社会的経済的地位の上昇で社会への同化を目指す新たな動きなどが生じたことが明らかにされる。
第4章「自力解放の模索」では、まず、三重県下における米騒動と被差別部落の関係が、米騒動に参加しなかった村も含めて、詳細に検討されている。米騒動では、実態に比して検挙が被差別部落に集中し、「暴民」像がつくられた。その結果、「特種(特殊)部落」という呼称が再び多用され、被差別部落にとって後の時期まで及ぶ打撃となり、米騒動と水平社の非連続という事態が生じた。しかし米騒動の社会的衝撃は大きく、「融和」が強調され、部落改善事業奨励費が大幅に増額された。また被差別部落では、「誇り」や「自覚」が追求されるようになり、徹真同志会その他による差別糾弾運動や小作争議の展開など、やがて水平社につながる自力解放を目指す様々な動きが生じたという。
第5章は、本書の中核をなす部分であり、三重県での水平社運動が主として分析される。ここでの分析の特徴は、章の題名のように「‡国民‡≠ニ‡無産階級‡≠ヨの一体化」という観点が強く意識されていることである。一体化が問題になるからには被差別部落内外の関係が問題になるが、これを水平社と労農運動の関連を軸に分析し、叙述されている。
三重県では、多くの日農支部が被差別部落と重なって結成され、小作争議が高揚し、糾弾闘争も繰り広げられた。三重県水平社・日農三重県連合会の機関紙『愛国新聞』は、無産階級運動の立場からや、「愛国」(大国意識)からの「一体化」も主張し、他のマイノリティーへの共感も持っていたという。また三重県水平社主流は共産主義派であり、彼らもプロレタリアの1員としての差別からの解放という志向性を持っていた。
ここで黒川氏は、かつての水平運動研究からは大きく隔たり、階級的「一体化」を目指す運動の限界を論じている。部落外農民が日農支部から脱退したり、差別糾弾闘争が反発を生み、「一体化」が部落の結束を弱めるなど「障壁」にぶつかったと説く。また、津水平社など主流以外の諸潮流にも注目している。ここには、個々人の差別的言動よりも教育のあり方や行政・裁判のあり方など、「より高次元の問題」(170頁)に向き合おうという可能性の芽もあったと評価する。これら諸潮流は、融和運動とつながる実利主義的体制内運動でもあったと評価する。普選と議会進出への対応をめぐっても対立した。水平社内には、既成政党不信と知識人不信による普選否定論もあったが、松阪町などで町村町会への進出が企てられた。
1925年以降の運動は、左派が主導した。そして、三重県無産団体協議会で「無産者」の結束が図られ運動は戦闘化する一方、重大な差別事件が発生し差別糾弾闘争も再燃した。「一体化」と部落の独自性強調の間で運動は揺れ動き、また先鋭化も進んで運動は先細りとなった。ここに融和運動も割り込んでくる。
第6章「『国民一体』の創出とその矛盾」では、昭和恐慌以降の状況が描写されている。経済状況の深刻化に対して経済更生運動とその中での地方改善応急施設事業が実施され、伊勢表生産組合などの協同組合が組織化された。この中での融和運動側は「内部自覚運動」を展開、「中堅青年」組織化を進めた。他方水平社は、労農運動と一体化しながら、生活防衛闘争を組織化した。そして最左派の共産主義者主導で運動は戦闘化した。
そして共産主義派は水平社解消論に与したが、これには抵抗もあった。だが、最左派は弾圧され、転向が進行する。三重県では最左派が強かっただけに、運動の転換も大きかったようである。だが弾圧は逆に部落の独自性を重視する運動を復活させ、選挙闘争や大衆運動は高揚、水平社内では非左派的な、伊賀水平社のような潮流が生じた。これは融和運動とも協調的であるが、その融和運動を見れば、三重県厚生会が1934年に発足し、「皇国精神」から国民一体化をはかる。融和教育も開始され、1940年代には同和奉公会が組織され、またかつての共産主義派により皇民運動も組織されるなど、国民一体化による部落解放への期待は高まった。だが、期待は結局裏切られたというのが結論である。
本書の成果については、次のように考えられる。何よりも、これだけの史料を博捜し1つひとつの事実を確定し、これを元に論を組み立てるには膨大な労力が必要であったことは容易に推察できる。そして「地域のなか」で解放運動を捉え、また改善運動や融和運動との関連を具体的にあとづけたことは大きな成果である。現在、三重県以外でも多くの地域で、部落問題を「地域のなか」に位置づける多くの試みが続いており、本書はその先駆けである。今後は、本書をモデルとし、各地域を比較しながら研究を進めることができる。
本書での解放運動分析は、水平社主流以外の日本水平社を含めた諸潮流の存在とその役割についても指摘し、また水平社未組織地域への目配りもある。「頂点的な運動史の枠組みではとらえきれない」(6頁)部分を重視する黒川氏の問題意識の成果だと言えよう。
歴史学や社会学などの新しい論点を組み込む点で、本書は積極的である。「差別の標識」についての議論や、「国民一体化」という論点では、最近のいわゆる国民国家論が意識されている。しかし本書では、被差別部落のあり方に徹底的に注目した結果、国民一体化が強力に押し進められてもなお、これは容易には実現しえなかったことが示されている。このことは、国民国家論の側に大きな課題が残っていることを提起しているように思われる。
以上の成果を確認した上で、いくつかの論点を最後に提示したいと思う。まず第1は、三重県の部落改善運動で大きな役割を果たした竹葉寅一郎についてである。彼は、黒川氏も述べているように、その後和歌山に移住した。そして、次のような活動をした。
タケバトライチロウって言うてな ……社会教育課の嘱託として和歌山県庁へ入って奉職しておった。それがこの解放運動というものに対して大変興味をもった人であってな……私の家に来てからに、それはいいっちゃ、一生懸命やってくれたまえ……部落解放運動に努力してくれんかというようなことで……ジンジチ会というのをこしらえたんです
(『高橋善応との対話』〈聞き取り記録、タイプ版〉)
証言者の高橋は、和歌山県水平社初代委員長である。「ジンジチ会」とは壬戌会のことで、主要メンバーは県水平社の中核を占めた岡町村水平社へ移行した。つまり竹葉が、水平社結成に一役買ったことになるのである(これ以外に和歌山での竹葉の動静は今のところわからない)。場所が三重から和歌山へと移り、時間も経過して竹葉の認識も変わったということかもしれないが、それならばなぜ変わったのか。これを明らかにするのはもちろん黒川氏の責任ではないが、こうした予想外の事実がありえるので、そうした点を研究者が連携しながら明らかにする必要がある。
本書の『地域史のなかの部落問題』という表題のように、黒川氏は「地域のなか」を重視し、本書は豊富な内容を持てた。ただ、検討課題はさらに残るであろう。その点で言えば、被差別部落といわゆる「一般」の接点、関係をさらに幅広く考える必要があるのではないか。たとえば黒川氏は、被差別部落出身者の労働市場が三重県では「一般」とは別であることを強調している。これは、津市など都市部の部落についてはどうか。都市部では、たとえば紡績労働者や仲仕など、いやおうなく被差別部落と「一般」の労働市場は重なってくる傾向にあるだろう。津以上の規模を持つ都市では、なおさらこういった傾向は強いであろう。
本書の中にも、被差別部落の理髪業者、行商人等々さまざまな生業を営む人々の存在が明らかにされている。和歌山県では、被差別部落出身の医者(とくに接骨など外科医では早くから)や教師も存在するし、また車夫や植木職人など「一般」相手の職業従事者は、無視できないほど多い。接骨医の場合、「偽医者」として告発された例もあるが、名医として名高く遠来の受診者が絶えなかった例もある。下駄直しや野犬取締などは、被差別部落に典型的な職業であると「一般」によっても認識された。これらは絶対数の多寡にかかわらず、イメージを形成する点では意味が大きい。
部落問題を研究する場合、本書でも多用されているように、地元新聞は不可欠の史料である。この点で、本書では、地域水平社の指導者をめぐる事件(スキャンダルを含む)が取り上げられているが、私が見ている和歌山県下の地元新聞でも、水平社構成員や被差別部落出身者について数多くの記事がある。これらが事実かどうかは確かめようもないが、ことの真偽にかかわらず、このような報道が被差別部落に対する社会的イメージをつくり出していた。この点で地域新聞の分析がさらに必要であろう。
「地域のなか」の被差別部落という場合、以上に一端を示した地域社会との関係が差別に新たな様相を加えたと考えられ、分析が必要である。地域における被差別部落と朝鮮人の関連についても解明が必要だと言える。だが、これらを本書に求めることは、無い物ねだりと言うべきであり、後続の我々が少しずつ明らかにすべき課題であろう。