本書は、最近の部落史の見直しに関する議論を整理した前著『いま、部落史がおもしろい』以来、著者が温めてきた問題意識をもとに通史として書かれた。
前近代、とくに中世では「畏れと穢れ」がキーワードとなっている。死の穢れを清めるという特殊な仕事を担った被差別民に対して、畏れの意識が薄れて、穢れの観念だけが強まっていくにつれ、差別意識が強まり差別が固定化されていく様子が描かれている。18世紀に農耕を中心とした社会構造が確立し、百姓・町人層が自立するにつれ、長吏、「かわた」身分に対する差別・排除が強まっていく、という著者の捉え方に接すると、幕府が被差別身分をつくったとするこれまでの「政治起源説」が、なんとも不自然に思われてくる。
近代の記述では、融和運動について、たとえば融和主義という語に含まれた否定的ニュアンスに象徴されるような厳しい評価ではなく、肯定的な再評価の視点で描かれていたり、先の戦争に対する水平運動の協力についても、「運動として生き残るためには仕方なかった」というような捉え方ではなく、積極的に戦争に協力することで差別から解放されたいという意図もあったこと、植民地政策のもとで部落からも、朝鮮の屠場に進出したり、「満州開拓団」と称して中国に植民していったことが、事実として押さえられている。
現代についても、行政闘争の契機となった「オール・ロマンス」闘争において、不問に付されてきた在日朝鮮人差別の問題や、行政闘争そのものの功罪に言及するなど、近現代を通じて、「公式見解」ではなく歴史的な事実を正当に評価しようという姿勢が貫かれている。