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2004.02.03
書 評
 
評者N
研究所通信306号より

公立小学校の挑戦
「力のある学校」とはなにか

志水 宏吉 著、岩波ブックレット、71頁 定価480円+税

 大阪の松原市立布忍小学校。志水さんたち、東京大学「学力問題プロジェクト」による2001年学力・生活実態調査《関西調査》の結果から見出された「効果のある学校」である。本書は、布忍小学校において著者がおこなってきた参与観察、フィールド調査を通じて「布小教育」の「何が効果を生み出しているのか」その成果の要因について考察し、まとめたものである。

 本書は三つの章で構成されている。冒頭の章「教育改革と学力問題」で、この間の「学力論争」を概括し、布忍小学校の調査に著者が取り組むに至った経緯を簡潔に述べている。

 第二章「布忍小学校の日常」では、子どもや教師の姿、学校の地域性や歴史、布小教育の根幹をなす「集団づくり」の考え方、基礎学力保障の取り組み、総合学習のあり方など、本校の教育の全体像に触れている。それぞれについて触れる紙数はない。一点、確認しておきたいのは次のことである。

 1960年代末の「越境根絶の取組」以来、布小教育は、常に同和地区の子どもたちといかに向き合うのかを中軸に据えて取り組みが進められてきた。本章で詳述されている「集団づくり」や基礎学力保障の取組、総合学習等々、これらの布小の教育活動を根底から支えてきたものは、「ムラ」から出発する同和教育であることをあらためて認識させられるのである。

 なぜ、布小の教師がこれだけ熱意をこめて「集団づくり」に力を注ぐのか、そしてそれが基礎学力保障の取り組みになぜ不可欠であるのか、また、布小教育活動のすべての基盤として、教師集団のチームワークがひとみのように大切にされる理由は何なのか……等々。これらについて、単に学力保障の側面だけで理解しよう(あるいは取り入れよう)とすること自体に無理があるのだ。その意味で、本書は決して「学力向上」のための「秘策」をあれこれと並べ立てたものではない。何よりもまず、布小において脈々と受け継がれてきた同和教育の実践との関連で、その歴史とともに「総合的に」理解することが求められているのである。短いブックレットながら、本書はその役割を十二分に果たしている。

 最後の章「布忍小学校の教育活動に学ぶ」で、著者は、本校の教育活動から学ぶべき点を理論的・実践的に整理をおこなっている。その際、布忍小学校を「力のある学校」として描き出している点に注目したい。

 著者によれば、「力のある学校」とは、子どもたちにさまざまな「力をつける」学校(empowering school)である。すなわち、なによりも被差別の立場にある子どもたちをこそ、エンパワーすることをめざした学校のことであり、「子どもたちのさまざまなポテンシャルを引き出すことに専念し、その成果が周囲にも認められている学校のこと」を指すのである。「基礎学力向上」の掛け声のもとで、点数を高めることのみを自己目的化した学校とはその存立において決定的に異なるのである。

 では、この「力のある学校」はどのようにして生まれるのか。筆者はそこに至る「近道」を「社会関係資本」(Social capital)という言葉をキーワードに説明する。経済資本でも文化資本でもなく、「人間関係が生み出す力」ともいうべき「社会関係資本の豊かさ」こそ、布小を「力のある学校」たらしめているというわけである。学校と保護者、地域社会など多様な他者と幾重もの信頼関係を形成していく、そのような取り組みの創出が、公立学校の存立のために大きな意味を持つことを示唆しているのである。この点においても、布小教育の取り組みは突出していると言えよう。

 公立学校の地盤沈下が叫ばれて久しい。首都圏では、学力調査結果を公表し、学校間の競争を促すことで「改革」を進めようとしている自治体もみられるという。このような動きは、保護者による選択行動をいたずらにあおり、公立学校間の格差を一層拡大させることなりはしないか危惧されるところである。そればかりか、学校を地域から切り離し、学校と地域・保護者の協働参画による学校づくりの前進を阻むことになるおそれがある。

 「学力低下」論争がひと段落した今、問われているのはどのような学校を創造していくのかという「学校像」である。国立でも私立でもない、地元・地域に根ざした公立学校だからこそできる教育とは何か。学校を核として多様な他者との出会い、新たな人間関係が生まれ、それが子どもたちはもちろん、親や地域、そして教師をもエンパワーしていく学校。本書が提起した新たな「学校像」である「力のある学校」はこれからの時代に公立学校の果たす確かな役割をあらためてわたしたちに提示してくれている。