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2004.06.19
書 評
 
評者内田 龍史

G・ジョーンズ、C・ウォーレン 著、宮本 みち子 監訳、鈴木 宏 訳

若者はなぜ大人になれないのか
-家族・国家・シティズンシップ(第2版)

2002年、四六判、306頁 頒価2940円

  欧米では1970年代以降の経済のグローバル化に伴い、製造業からサービス業への産業構造の転換が生じた。以降、消費者のニーズに合わせるためのフレキシブルな労働力の創出が求められ、労働者は、少数の中核をなす常勤労働者と増大するパートタイム・臨時雇用者に分極化することとなった。そうしたパートタイム・臨時雇用者になりやすいのは、低階層出身者・移民などのエスニックマイノリティであり、近年、「若者」も社会的弱者としてクローズアップされている。

  本書は、英国の家族構成、教育制度、労働市場、社会保障制度、消費市場などの構造変化が「依存する子どもから自立した大人への移行(transition)」にどのような影響を及ぼすのか、そして選択肢をどのように拡大し、制限するのか、が包括的に問われている。

  著者は、大人になることを「シティズンシップ」という概念に照らし合わせて考察を行っている。「シティズンシップ」とは、福祉資本主義社会において、ある年齢に達すれば暗黙のうちに与えられる、個人に対するひとまとまりの権利と責任のことである。マーシャルはシティズンシップの市民的、政治的、社会的要素に定式化しているが、著者はこの権利と責任が青年期のどのようにして獲得されるかについて考察するのである。

  本書のおもしろさは、ベックやギデンズなど、現代を代表する社会学者の「現代社会」をとらえるまなざしから「若者」を分析するという点にある。例えば、以下の文章は、「若者」がおかれている困難な状況が「現代」に特有であることを如実に示すものである。

  近代世界において社会化の目的が不確かであることこそが、第一次社会化に関与する家族と、第二次社会化に関与するその他の国家制度の間に、期待と要求の対立をもたらす原因となっているのである。将来の展望がはっきりしない時に、親や教師より若者の方が、何を目指せばよいのか明確にわかるわけがない。(31頁)

  「訓練と教育の機会の増大に伴い、「選択の機会」が拡大したが、若者はその制度を通じて、自分のルートの選択により一層自覚的になっている。彼らはより「自己反省的に動員され」、おそらくより「個別化」しなければならないのである。だが、選択の機会が増えるに従って、結果はますます不確かなものになるため、リスクは増大する。たとえば訓練を受けたからと行って、必ずしも仕事に就けるとは限らないのである。」(57頁)

  加えて著者は、青年期の機会や制約が生み出される中に、青年期のプロセス自体を形成する構造的不平等認識の重要性を述べる。そして、年齢という構造化変数に依拠した枠組みでの「若者」という一面的なとらえ方を否定し、社会集団が異なればライフコース上での経験も異なる(ダニエル・ベルトー)という視点から、ライフコースアプローチによって若者の生活の複雑さを理解する必要性を提起する。

  日本においても若年失業・フリーターの問題はすでに社会問題化されているが、本書のように幅広い視点から分析がなされたものはない。英国と日本の違い(特に家族のありよう)は考慮されるべきであろうが、現代日本の「若者」をとらえる上で、本書は重要な示唆を与えているのではなかろうか。