Home書評 > 本文
2004.08.11
書 評
 
評者武村二三夫

人権政策学のすすめ

学陽書房、2003年6月刊、A5判・205ページ、2,200円+税

一 個別 救済、立法・政策提言及び人権教育の三つの機能

人権侵害を防止するには、個別人権救済のみならず、人権侵害をもたらす社会的制度的問題の解決のための立法・政策、並びに人権教育が必要であると説かれている。国内人権機関の設置を求めるパリ原則においても、国内人権機関の個別人権救済、立法・政策提言、人権教育の三つの機能の必要性が指摘されている。

本書の「人権政策学のすすめ」との聞きなれない標題をみた時、私はこの三つの機能の一つを対象としたものと受け取った。しかし本書が提起する人権政策学はこれをはるかに超えた野心的なものである。


二 市民 、NGOもまた人権政策の主体であること

 本書では、NGO(市民)が人権政策の主体であると繰り返し強調している。従来、政策というものは国や自治体が決定するものと観念されていた。この国や自治体の人権に関連する政策の決定に際して、NGO(市民)の意見は無視されるか、せいぜい恣意的な選択がなされることが多かったのではなかろうか。

 本書では、人権侵害や差別を受けがちな者の視点=「下からの視点」が重視されなければならないとして、NGO(市民)を人権政策の主体とする。すなわち、人権政策を、国・自治体などのほか、NGOの採用する個別・一般的人権状況改善のための解決手法と定義する。国・自治体の立法や政策のほか、政党の綱領・公約、労働組合や団体の活動方針と並びNGOなどの市民レベルでの提案・運動も人権政策に含める。そして人権政策の最終段階である制度決定に際して、NGO(市民)の提案・運動を人権政策の主体のそれとして重視・反映させようとする。

 このようにNGOが人権政策の主体とされる根拠や必要性について、当事者性の原則(当事者の視点に立った施策の推進と当事者自らによる事案解決に対する適切な支援)、公権力による人権侵害がなお繰り返されていること(被害者である市民が主体的に動く必要がある)、国の縦割型省庁別体制では人権侵害の総合的解決は難しいばかりか受け皿さえないものもあること、国内社会ばかりか国際社会にも見られる判断決定者と被判断決定者の分離の克服その他、執筆者がそれぞれの思いをこめて語っている。

 NGOの活動・機能の重視は国連の方針でもある。国連人権委員会などでは人権NGOを参加させ、情報提供その他の機能を担わせている。また国連は、国際人権基準として各種人権条約を設定し、その国際的実施としては政府報告書審査制度等を導入し、国内的実施としては加盟国の司法・行政・立法機関に実施義務を課した。しかしこれらでは十分ではないとして、一九六〇年代以降、国際レベル(条約レベル)で個人通報制度の導入、地域レベルで地域的人権保障機構の設置、国内レベルで国内人権機関の設置を求めてきた。

 日本に関してはこのいずれも実現していない。国内人権機関は、国家の司法・行政・立法機関が十分に機能していないという反省に立つこともあって、国家機関として予算措置及び法による権限規定を求めながら、同時に政府から独立したものでなければならないとされ、NGOの協力連携を重視し、市民の意見を反映させて個別人権救済、立法・政策提言、人権教育にあたらせようとするものである。


三 本書の構成と内容

 「第1章 人権政策と人権政策学」では上述のような視点に立った新しい学問領域を高らかに宣言し、労働基本権が労働者の主張と闘争ののち法的権利として確立するに至った歴史などを踏まえ、その時点では法的権利としては未確立であり社会的・政治的主張にとどまるものも「人権」(当事者主義的人権)として扱う、として実践重視の姿勢を示す。

  「第2章 人権政策の対象」では、人権擁護法案が差別、虐待及びメディアによる人権侵害を特別救済の対象とすることを念頭において、これを克服しようとしているようである。

 「1 公権力による侵害」では、人権擁護法案が独立のカテゴリーとしてこれを取り上げていない点を批判し、これを取り扱う人権救済機関は独立性確保のため「会計検査院型」か「人事院型」によるべきとしている。

 「2様々な社会的差別」では、国に対して、条文別省庁別人権から主体別人権のパラダイム転換への対応と、国民に対する説明責任や国際的な説明責任が求められているとしている。

 「3 複合差別・間接差別」では、人権の不可分性という観点から人権政策を総合政策として企画・立案・調整する機関が必要だとし、「複合差別」や「間接差別」の解明が中核的アプローチとして不可欠だとする。

 「4 虐待」では、DV(ドメスティック・バイオレンス)は力の優位によって相手を支配しようとする意識的行動選択であり、この被害者―加害者の意識は〈性差別社会〉全体の意識によって容認され補強されているとの指摘が新鮮であった。

  「第3章 人権政策の領域」では、「1 国の人権政策」で、総合的人権政策の萌芽と位置づける同和行政の展開から、人権擁護法案に至るまでの国の人権政策がまとめられ興味深い。国の人権政策と並んで公共領域に含まれると思われる自治体の人権政策の検討の記述がないが、これは今後の課題ということであろうか。

 「2 市場と人権政策」の項では、現在進行中のグローバル化への人権政策の対応という大きな課題を提示する。しかし、グローバル化以前の問題として、先進国とされる日本でなぜ公務員のストライキ権が一律禁止され、過労死すらもたらす非人間的な長時間労働などが放置されるのか。また規制緩和など市場のグローバル化が叫ばれるなかで、日本ではなぜ労働者の人権の国際的保障という下からのグローバル化が進行しないのであろうか。人権政策学の立場からこれらの解明を是非お願いしたい。

 「3 国際社会における人権政策」では人権問題は、環境、開発、貧困、食料など地球的問題群との関連性を一層強め、さらには平和概念に関する検討も不可避だとする。私としては、上記の国連の戦略に応じて、国内人権機関の設置のほか、各人権条約の個人通報制度の採用、アジアにおける地域的人権保障機構の設置のための努力も付加したい。アジアでは地域的人権保障機構の設置は当面見込めないが、アジア太平洋地域の国内人権機関が加盟するアジア太平洋フォーラム(APF)がアジアの地域的人権保障機構の代替的機能を果たそうとしている現状を踏まえ、このAPFに加盟するためにもパリ原則の求める独立性を備えた国内人権機関の設置が急務であると考える。

「第4章 人権政策の課題」では、「1 人権ネットワークの形成とその多様性の模索」で、人権政策学の主体してのNGOの機能の拡大のため政策策定の専門家の確保が必要だとする。

 「2 政策形成過程・実施過程へのNGOの参加」では、タイと韓国で独立性の高い人権委員会が設置された要因としてNGOの積極的働きかけをあげ、日本の人権NGOの影響力が弱いのか、との問いを反芻する。韓国では人権委員会を法務部(法務省)の下に設置するという法務部案を、NGOの結集によって二度にわたりはねかえし、現在の人権委員会を設置させた。日本では法務省の外局にすぎない人権委員会を設置しようとする人権擁護法案への対応において人権NGOの力量が問われている。人権NGOの主体的力量の強化とともに、独立性のある国内人権機関の設置の必要性について、人権NGOと世論の理解と支持を得る一層の努力が必要であろう。

 「3 国際的人権保障の推進」では、現在の国際的人権保障そのものが判断決定者と被判断決定者の分離を前提にしていると指摘し、その距離を縮める国内レベルの努力の一例として、市民社会の社会集団の多元的な代表が確保された国内人権機関によって、人権についての人々の意思決定を国家に反映させることをあげる。

 「4 日本の人権教育・啓発に求められる視点」では、現在の教育が、人権問題を私人間の問題であり相互の理解と心がけによって解決される問題と矮小化し、学習者がより広い社会と自分自身のつながりを意識し、差別の不当性を社会に訴え、人権侵害が起きないシステムを社会の中に築く力をつけることに十分な関心を払っていないとするが、この指摘は人権教育を考える上で極めて重要である。


四 政府から独立した人権機関の設置に向けて

人権侵害の救済という観点からすると、法的な主張立証を求める裁判は通常人にはむずかしく、弁護士費用がかかること、時間がかかることなどの問題がある。法務省の人権擁護委員制度は、実効性に疑問がある上、公権力による人権侵害に対処するものとして市民の信頼も得られてない。弁護士会の人権救済制度は法的権限の規定がなく、警察や刑務所はその職員の事情聴取にすら応じない。このようななかで迅速、安価かつ実効的な人権救済機関が求められている。

人権擁護法案は、二〇〇三年九月の衆議院解散により廃案となった。第一五九回国会には法案は提出されていないが、法務省は同内容のものをまた提出すると見られている。この人権擁護法案の問題点は、本書の各所で触れられているが、「第3章 人権政策の領域 1 国の人権政策」では、<1>メディアによる人権侵害とそれに対する救済手続の是非、<2>私人間の人権侵害と公権力による人権侵害を同列に扱っていること、<3>人権委員会が十分な独立性を保てる保障がないこと、<4>人権委員会の中央集権的な組織体制、<5>人権委員会の組織構成や活動に当事者性が見られないこと、を挙げ、<5>が最大の問題点であるとする。

人権擁護法案に基づく人権委員会は独立行政委員会とされるが、法務省の外局としてその所轄とされる。その職員は問題の多い現在の人権擁護局から横滑りし、将来は法務省の他部局に移動するであろう。委員と並んで重要な役割を担う職員が、被収容者の虐待など重大な人権問題をかかえる法務省矯正局(刑務所など)や入国管理局、あるいは法務省と同格の各省庁や警察などの人権侵害に適正に対処できるとは考えがたい。私は個人的には<3>の問題点を強調したいが、これは当事者の視点ではなく法務省の視点が貫徹するということであり、実は<5>と表裏の関係にある。


五 終わりに

本書評は、評者自身の見解を少なからず書き込んでいる点でいささか異例かもしれないが、本書の各執筆者の意欲と熱気に私なりに反応した結果である。執筆者の意図を正しく理解していない点、引用が不正確な点などがあれば、私の未熟と不明によるものであり、ご容赦願いたい。

本書を人権侵害や差別の当事者、人権問題に取り組むNGO、国・自治体の職員、国会・自治体議会議員、研究者など多くの方々に強くお薦めしたい。