今日、企業経営に倫理性を反映すべきことが広く求められている。この状況がどのような背景から生じたのか、また、この要請にうまく対応するにはどのような取り組みが必要か。本書は、ハーバード大学のビジネススクールで長く教鞭をとってきた著者が、「バリューへの着目」という現象について深く掘り下げることを通じ、企業経営において根本的な「バリューシフト」が生じていることを示すものである。
第1章では、経営活動において「バリュー」、すなわち一定の価値に着目するという現象が生じていることが指摘される。多くの企業で倫理プログラムや価値観の実践が推進されている。このような現象の原因は、四つの理由に集約される、としている。「危機管理」、「組織機能」、「市場での地位の確立」、及び「社会における地位の確立」である。このそれぞれについて、事例を挙げて説明する。
さらにこの要因を掘り下げて検討し、とりわけこのような倫理的な取り組みと企業の収益との関連性について、検討を加えるのが続く第2章及び第3章である。前者においては、倫理的な活動がもたらす利益に関して、各種コストの低減、さらには従業員の士気・創造性を高めることにより、収入と生産性が向上することが挙げられる。このことは社外のパートナーにも当てはまるのであり、公正な行動は相互性の原理に基づき、他者の公正な姿勢を惹起する。さらにこれが評判を高めることになる。かつて主張された「倫理は損になる」という言説は、今日もはや妥当性を持たないのである。しかし他方で、「倫理は得になる」という命題が常に言えるかどうかについて、著者は慎重である。道徳的に不適切な行動をとることによって、収益を増加させている例があるからだ。児童労働や価格協定などがそれである。このことから、倫理と経済的利益との関係は、無関係でも、完全に重なるのでもなく、部分的に重なるものであり、さらにこの部分の範囲は、時・場所・想定される倫理の内容によって変化する流動的なものである、と指摘する。
このように、倫理的な取り組みが金銭的観点だけでは説明できないとして、著者は第4章で企業の「人格」を巡る考え方の発展が、今日の状況を引き起こしたとする。かつては倫理が定義上個人の行為について定めるものであるから、法人たる企業は道徳について責任を負うものではありえないとした「法人擬制説」が支配的であったが、今や現実がそれを許さなくなっている。つまり、人間生活のあらゆる側面で企業が活動を行う今日にあって、社会は企業が道徳の原理に基づいて行動することを要求するに至っているのである。この状況を一層掘り下げるのが続く第5章である。ここでは、企業のパフォーマンスについて二つの基準が生じつつあること、すなわち財務面と倫理面の両者である。この動きに伴って、企業の説明責任も、対象・内容ともに拡大しつつある。株主以外にも、顧客・従業員・地域社会へと広がっている。
上記のように、二つのパフォーマンス基準が生成していることから、改めて「倫理は得になる」という命題について著者は第6章でより深く批判する。というのは、「倫理は得になる」とすることで、結局倫理を「財務目標達成の手段」とすることになり、両者の必要性を損なってしまう、と指摘するのである。すなわち、「経営者にとって唯一の道理に叶った判断基準はやはり経済的な思惑で」あるということになってしまうからだ。適切な言明として著者は「倫理は重要である」を提示し、倫理的な考え方を財務的なものと同様に事業活動に反映させるべきだとしている。時として矛盾する両者を、いかにして統合するかが重要であるとし、倫理性を否定する議論について細やかに批判する。
では、どのように実践すべきか。総括的にいえば、「会社運営の姿勢は勿論、企業構造や企業戦略の選択からパフォーマンスの測定基準や報告基準にいたるまで、経営のあらゆる側面への見直しが必要」とする。このような包括的なアプローチとして、様々な取り組みを挙げ、そしてこれらのパフォーマンス基準を実施するための意思決定のあり方(第8章)、倫理と経済性が部分的に交差する領域において、両者を不可欠なものとして認識した運営を行う「センター主導」の経営を行う為のイノベーション事例(第9章)を挙げ、企業倫理に関わる今日的状況にいかに対応するか、その処方箋を示している。
紙幅の関係で、著者の重要な指摘の多くを割愛せざるを得なかったが、事例の豊富さ、徹底した考察、バランスの取れた指摘、方向性の包括さにおいて、学問的にも実践的にも多くの示唆を提供する重要文献であるといえよう。ご一読をお勧めしたい。