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2004.11.18
書 評
 

大塚 英志 著

「伝統」とは何か

(筑摩書房、定価680円(税別))

はじめに

 2001年9月11日のアメリカへのテロ攻撃から始まるイラク戦争から日本のナショナリズム的傾向は一気に加速したような感がある。自衛隊派遣の是非をめぐる集団的自衛権の議論において、「もし、日本が攻撃されたら」という言い方に説得力を持たせることになった。一方、2004年は、アテネオリンピックで日本人選手が多数のメダルを得て、国民的にも大いに盛り上がり、「日本人」であるという意識や一体感が報道を通じて強調された。そして、改憲論議や教育改革における「愛国心」論議、女性天皇の是非、また、様々な世界に誇れる日本人を紹介する番組や記事、日本語の再発見ブームなど、「日本的伝統」「郷土愛」「日本人」を意識させる状況が作り出されている。

 しかし、普段、口にしている「伝統」というものが、イメージしているほど強固で、永久不変なものかということに大きな疑問を感じていた。というより、内容や意味の変質、形骸化、形態の変更や創造を続けながら、現在もあり将来もあるであろうものという方が的を射ているのではないか、そんな思いから本書を手にした。

「伝統」とは何か

 著者は、伝統とはつくりだされるものであり、その後は、それがあることを根拠に社会的政治的な判断をし、冷静に検証できなくなるものとしている。そして、本書においては日本の民俗学の創始者、柳田国男の思想的な変遷から「伝統」や「民俗=民族」がいかにつくられたかを見ていく。

 例えば「母性」に関して、明治までは、養子制度や諸々の習慣により家族関係は現在の視点から見て、かなり複雑なものとなっていた。捨て子についての禁忌も今ほどでなく、養育費をもらって子どもを引き取る商売すらあった。ところが明治になり、「戸籍」に血統主義を持ち込んだ「家」制度ができあがると、これまでの生活習慣との間で葛藤が起こり、戸籍上、実の親子でないことは引け目になった。また、母子心中は、昭和初期から急激に増加している。日本的な「密接な母子関係」という「伝統」は、実際にはこのころに始まっている。

 柳田国男にとって「妖怪」「山人」あるいは被差別民などの「非常民」とは、多民族国家である日本において、天皇家にまつろわない先住民の人々であり、山中へ逃げた人々であった。そして、追われた「山人」の言語に古語が残っているということから当初、強い関心を持っていた。しかし、柳田には官僚という側面があった。官僚柳田は、台湾、朝鮮の植民地政策に深く関わるようになる。このことは、柳田の民俗学にも影響を与え、台湾での同化政策の過程に「非常民」と支配側の「常民」の関係を見、同化政策を追認していく。そして、1928年第1回普通選挙が実施された頃には、個人の自立の重要性をいっていたが、戦争が近づくなかで「日本人の共通性・共通意識」へと関心が向かう。ナチスが政策的に民俗学を推進したように、「郷土」「郷土研究」という形でナショナリズム的傾向が強く表れるようになる。

 筆者は、戦後も民俗学においてナショナリズム的傾向は、ほとんど内省されることなく継続していると考えている。そして、「私」から出発し、互いの差異を自らの言葉で語り合うなかで「公共性」に到達する新たな共生のための価値創造を求めている。