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2005.02.14
書 評
 

佐藤雅彰・佐藤学 編著

公立中学校の挑戦
-授業を変える学校が変わる-富士市立岳陽中学校の実践

ぎょうせい、定価1800円+税

 「教育改革」の名のもとに新自由主義・新保守主義的な教育政策が相次いで導入され、教育の公共性が著しく脅かされつつある。市場原理に委ねて「特色ある学校づくり」を競わせることでは、たとえ一部の学校がよくなることはあっても、日本の、とりわけ公立学校全体をよくしていくことにはほど遠いであろう。

 市場原理主義的な教育政策の動向と対極に位置するもののひとつに、「学びの共同体」づくりの実践がある。本書はその提唱者の1人である佐藤学を共同研究者として迎え入れた富士市立岳陽中学校における学校改革の軌跡を辿ったものである。「学びの共同体」づくりの実践では、神奈川県の浜之郷小学校等、小学校の実践がよく知られているが、中学校の実践例はこれまであまり紹介されてこなかったのではないだろうか。

 周知のとおり、現在の中学校が抱える困難は極めて大きい。目まぐるしく変転する受験制度と評価制度に翻弄される一方、校内暴力、不登校に「いじめ」等々、社会的な問題となる教育の話題はほとんどといってよいほど中学校がその震源地となってきた。これらについて中学校は「3つの指導」(生活指導、部活指導、進路指導)を中心に対応してきたが、決して十分な効果をあげているとはいえない。さらに、教員組織が教科や分掌単位に細かく『バルカナイゼーション』され、構造的な問題を抱えこんだ中学校の改革は正直、「これまで難しいと思われてきた」のである(佐藤学)。

 ところが、多くの「学びから逃走する子どもたち」を抱え、困難校として他校の教員から忌避されるほど荒れに荒れた岳陽中学校が、3年間の学校改革の取り組みによって校内暴力と非行をゼロにし、不登校生徒の数を激減させ、さらに学力的にも市内の上位に位置する学校に変わっていったというのである。

 岳陽中学校のめざした学校像はきわめてシンプルであった。「特色」や「魅力」を追い求めたイベント的な活動と決別し、「地味でいいから教師と子どもが日常的な授業で生き生きと学び合う学校らしい学校」「子どものほとんどが授業に参加し、教師が主体的に学び合い、親や地域住民が子どもの学びに参加している学校」すなわち「学びの共同体」としての学校である。

 この「学びの共同体」づくりのために岳陽中学校がおこなったことは、中学校教育の中軸を従来の「3つの指導」から「学びの創造」と「授業の改革」へとシフトさせることであった。まさに「授業を変えない限り学校は変わらない」のである。

 こうして、<1>すべての授業に「活動」と「小グループの協同」と「表現の共有」の3つの要素を取り入れることに始まり、<2>教師全員が年1回は授業公開をして互いの授業を批評しあう校内研修体制の確立(同僚性の構築)、そして<3>親が教師に協力して授業に参加する「親の学習参加」の実践を柱として改革が進められていったのである。

 佐藤雅彰元校長のリーダーシップの下に、上記のような大胆な改革が果敢に進められてきたわけだが、公立中学校においても、これらの取り組みが決して不可能ではないことを本書は教えてくれている。「小学校だからできたこと」「中学校では難しい」等、これまで陰でささやかれてきた逃げ口上を決して許さない取り組みの誠実さが本書からは伝わってくるのである。

 「ありふれた公立中学校のごくありふれた教師」による「ある意味、どこの学校でも試みられていることにすぎない」(佐藤雅彰元校長)という岳陽中学校の「学びの履歴」を記した本書は全国の中学校教師への貴重なエールとなることであろう。

 同和教育・人権教育に取り組む私たちは、「学校を核とした教育コミュニティづくり」と共振する実践的なヒントを本書の中に数多く見出すことができるであろう。すでに府内のいくつかの学校で、この実践が進められているとも聞く。「学びの共同体」づくりの実践との対話がさらに進められることによって同和教育・人権教育がより豊かなものへと進化していくことを期待するものである。