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2005.04.05
書 評
 

苅谷剛彦・志水宏吉 編

学力の社会学
-調査が示す学力の変化と学習の課題

A5判 299頁、岩波書店、定価3200円+税

  本書では、『関西調査』と『関東調査』と呼ばれる2つの調査データを用いた分析が行われている。どちらの調査も、異なる2時点間の「学力」の変化をとらえることをねらいとしたものである。

  「関西調査」は、大阪大学の池田教授のグループが1989年に行った同和地区実態調査をベースに同一の対象校(主として同和教育推進校)で同一の問題を用いて2001年に再度調査を実施したもの、「関東調査」は1982年、当時の国立教育研究所が実施した学力調査とほぼ同じ問題を用いて、やはり同一の対象校で2002年に行った調査である。

  いずれの調査も、1990年代に実施されてきた、いわゆる「新学力観」に基づく教育政策(現在の『ゆとり教育』はそれをさらに徹底させたものと考えられている)がどのような影響を子どもたちの学力面に及ぼしているのかをとらえることを可能にしたものである。これらの調査結果について、その概要はすでに別の機会に目にしている読者も多いはずである。(朝日新聞社「論座」誌上や苅谷他「調査報告『学力低下』の実態」<岩波ブックレット>等)

  本書では、11人の研究者が2つの調査を再度、さまざまな視点から詳細に分析したものだが、構成上、大きく2部に分かれている。

  第 I 部「個人の学力と学習」では、主に学力の変化とその構造について分析をおこない、続く第úK部「学力と社会」では、学力の階層間格差や家庭的背景との関係をめぐる問題について分析をおこなっている。

  本書の特徴は、「学力低下」一般を問題にすることで満足するのではなく、いったい「誰の学力が、なぜ、どのように低下したのか」「どのような背景や特徴を持った子どもたちの学力に変化が生じているのか」をこそ問題にしなければならないとしている点にある。当然、そこで重視されるのは、子どもたちの属する家庭の社会・文化的背景の問題である。

  ……と、ここまでは、おそらく多くの読者がこれまでの報告の中で苅谷や志水たちの主張としてすでに接してきたところではないだろうか。

  新たに本書で注目されるのは、「学力低下」の問題をフリーターやニートの増加に象徴される若年者雇用の不安定化の問題に敷衍させ、いわゆる社会的排除(exclusion)の問題として明確にとらえようとしている点である。

  「さまざまな調査によれば、フリーターや無業となる可能性は、出身階層や、中学・高校時代の成績と密接な関係がある。そこには、上級学校への進学ができないといった家庭環境の影響や、学校での勉強がわからなくなり学習から早期に降りてしまう結果としての、やむを得ざる「選択」という面が現れている。その意味で、社会階層や学習の失敗を受けた「排除(exclusion)」の現象としての面を持っている。」(苅谷)

  そして、日本におけるこの「排除と包摂(inclusion)」の問題を考える上での重要な家庭的背景として、同和地区出身の子どもたちの学力問題について章をおこし、鍋島が担当しているのであるが、その分析結果は、残念ながら、きわめて厳しいものとなっている。この間の「学力低下」の進行は、「同和地区の子どもたちが同和地区出身であるという<属性>によって落ちこぼされる事態の拡大を伴っている」というのである。

  鍋島は、同様のことがシングル・マザー等の単親家庭や他のマイノリティなどにおいても進行していると推測し、「今日の学力低下問題とは、日本社会において社会的に排除が拡大しつつあることだととらえることができる」としている。

  そして、続く第10章において、このような厳しい日本社会の状況に展望をさし示すものとして、あるいは公教育としての責任を明示するために、「排除」に対して「包摂」を可能にする教育実践として、「効果のある学校」論を志水が提示しているのである。

  「さらなる階層分化が進行しつつある日本社会において、社会的に不利な立場におかれやすい階層・集団の基礎学力を保障することこそが、公立の義務教育機関に求められる最重要課題であることを、「効果のある学校」論は教えてくれているのである。」(志水)

  紙数に限りもあり、本欄では「関西調査」の一端を紹介したに過ぎない。関西調査に限ってみても、この他に、ジェンダーの視座から学力問題を論じた本田の論考など、実に興味深い議論が数多く展開されている。ぜひ手にとってごらんいただきたい。