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2005.04.28
書 評
 
大西 比呂志

小林丈広編著

解放出版社、2003年6月刊、A5判・287頁、3,800円+税

一 本書の構成

 本書は部落解放・人権研究所の「都市下層社会と部落問題」研究会による研究成果として、以下の三部一〇本の論文で構成されている。

はしがき
序論(小林丈広) 

第一部 近世との連続・断絶
 中嶋久人 「都市下層社会」の成立─東京
 小林丈広 都市の近世と近代─京都
 石瀧豊美 部落差別発生の現場─福岡
  ・明治初年の日記を手がかりに

第二部 近代化と「部落問題」の形成
 友常勉 都市における部落問題の形成について─東京・荒川区(三河島)の皮革産業の場合
 黒川みどり “都市部落”への視線─三重県飯南郡鈴止村の場合
 吉村智博 都市部落における大阪市編入期の諸問題─南区西浜町をめぐる資力と社会認識
 小島伸豊 被差別部落の衛生調査とトラホーム対策─大阪

第三部 都市スラム分析の視角から
 阿部安成 都市の縁へ─二〇世紀初頭の横浜というフィールド
 安保則夫 都市衛生システムの構築と社会的差別の形成─神戸
 重松正史 都市下層の「社会的結合関係」と米騒動─和歌山

 本書の意図するところは、編者小林丈広氏のはしがき及び序論に簡潔に述べられている。すなわち被差別部落史を中心とした都市下層社会の研究を「特殊」な研究領域としてではなく、社会の全体像を解明するための「近代社会論」の一つとして捉えようとするものである。そして近年盛んな都市史研究との関連を重視し、「都市内部の矛盾や農村などとの対抗、経済的・社会的関係の重層性とそれに基づく諸階層間の対抗・共存などといった問題群」を、「社会的、文化的機能や象徴から見た権力論、空間論など」様々なアプローチを用い都市下層を実証的に分析する必要が説かれている(一〇〜一一頁)。こうした企図のもとに本書は東京、京都、横浜、神戸といった大都市のほか福岡県博多近傍、三重県鈴止村、和歌山市とその周辺町村など地方中小都市も素材に、都市下層の近世近代の連続性と非連続性、近代的社会問題としての「部落問題」の形成過程、近代の「都市スラム」という三つの局面に焦点をあてている。

 多様な素材を多角的に取り扱い、様々な仮説が盛り込まれている本書の内容をあますことなく紹介しまた論評することは、紙幅の制約もあり、またこの分野の専門家でもない評者の到底よくするところではないが、ここ数年関東地方で都市史研究の新しい方向性について何人かのメンバーと模索している立場から、若干の感想を述べることとしたい。

二 各論文の内容

 まず各論文について簡単に紹介しよう(論文名は執筆者名で略記させていただく)。第一部は、近世近代移行期の都市下層社会の変化の様が扱われる。

 中嶋論文は、江戸町会所が果たした窮民救済機能が都市改造を進める東京府会によって廃棄され、さらに公費負担軽減の観点から都市下層民衆の救済が近世の公的救済から私的救済へと転化していき、また当時さかんに流布された都市下層社会へのルポルタージュに近代の差別の認識枠組みの形成をみる。

 小林論文は、近世における町会所や木賃宿など都市下層の救済機能、被差別身分と「周縁的諸集団」の関係、維新期の一般困窮者の増大、解放令の影響などを江戸と京都とを比較しつつ分析し、近世近代移行期の都市における身分制の変容過程の上で近代「部落問題」の編成を位置づけた。

 石瀧論文は、博多近傍に住む神官が残した克明な「日記」をもとに、解放令が出されたことによって被差別身分の人々の日常がいかに変化したか、また地域社会がこれをどのように受けとめていたかを豊富な事例で浮き彫りにし、明治維新に伴う社会的再編成が被差別身分をめぐって様々な緊張関係を生み出していったことを明らかにした。

 第二部は近代化のなかで「部落問題」がどのように形成されていったかを扱う。

友常論文は、東京市荒川区の三河島を素材に、一八七〇年代から一九一〇年代にかけて世界的に進展した皮革産業の国家的産業化と再編成の動向に対応して、同地域の皮革産業が「自前の草の根的な労働力供給システム」などを戦略的に活用して近代化と輸出産業化を成し遂げ、「都市型マイノリティー」として地域に定着する過程を明らかにした。

 黒川論文は、明治初年のコレラの発生流行で貧民部落一般から被差別部落が「あぶり出され」、市制町村制施行に伴う町村合併から排除され地域多数の住民との摩擦や軋轢をへて、合併後の行政村内部で「部落問題」として次第に認識されていく過程を明らかにした。

 吉村論文は、一八九七年の大阪市の第一次拡張で編入された西浜町の財政構造を分析し、富裕層を擁し不衛生とされる指標もなく財政力も十分であった同町が、編入に際してなお近世以来の賤視の対象とされ、編入後皮革産業を発展させつつも同地域が「特殊部落」として差別され、都市部落として「実体化」されていく過程を分析した。

 小島論文は、かつてのコレラに代わり「部落への差別意識を表す指標」となったトラホームをめぐる大阪市における一九二〇年代以降の動向を、衛生行政や融和事業、差別糾弾闘争やトラホーム診療所設置要求運動など、行政と被差別部落民・水平社の双方の側から扱い、三〇年代に部落で健民健兵政策のもとで労働力と戦力確保のために根絶されていく過程を跡づけた。

 第三部は都市スラム分析の様々な視角を提示する。

 阿部論文は、二〇世紀初頭の横浜におけるペスト対策としての「交通遮断」、第一次大戦後のスラム(南太田町)に対する久保田政周市政下の横浜市慈救課、社会課による各種調査ほかを取り上げ、「スラムとその住民の特定と観察」や「それが社会に流通すること」の意味を考察し、近代都市「市民」の成立と「都市の縁」形成との間の「背理」を明らかにした。

 安保論文は、神戸におけるコレラ流行への対策として防疫、衛生組織が整備され、市区改正事業が展開されることにより、「貧民部落」が「良民社会」から区別され、「被差別部落」に押しやられていく過程を明らかにした。黒川論文と相まって近代都市の空間支配が、「貧民部落」「被差別部落」「良民社会」へと領域化していく様が明らかとなる。

 重松論文は、和歌山における賭博被検挙者や侠客などの米騒動への参加の動向と、こうした都市下層と周辺の被差別部落との関連について論じ、都市民衆騒擾生起の要因として従来取り上げられることの少なかった人的ネットワークとしての「社会的結合関係」の存在を強調した。

三 若干の感想

 以上のような各論文からなる本書の大きな特色は、都市行政政策の検討(地方行財政、社会行政、衛生行政、都市計画など)、産業構造の分析、庶民の視点からの社会史的観察といった政治経済社会の各領域にわたり、近世近代移行期の近代都市下層の動態を多面的に明らかにしていることである。この間の変化は、身分制の解体と変容、近代国家と都市による行政機構の形成、社会的規範と意識の変革という重層的な転回を伴っており、都市下層の動向もこれら各局面に対応して考察される必要があるからである。

 近世身分制との関連は、小林論文が「周縁的諸集団」や「流入する困窮者」と被差別身分制との関連から、移行期の都市下層の流動的で複合的な構成を明らかにしている。また都市行政との関連では、小島、阿部、安保論文が、トラホーム、ペスト、コレラをめぐる衛生観念の普及、行政組織網の整備、社会事業や都市計画事業の実施のなかで近代都市部落が排除され、周縁に隔離されつつ実体化していくことを明らかにしている。これらを含めて本書各論文においては、膨脹拡大する都市の「周縁」に近代都市支配の本質をみようという問題意識が共有されているようである。

 ただ、やや気になったのは都市衛生行政、社会行政を扱った各論文において、かつて成田龍一氏が示した論理、すなわち「均一的空間」を志向する近代都市における公衆衛生観念や都市計画など近代的規範の提示とその強制、これに反する「負の存在」としての都市下層社会の「可視化」さらに各種ルポルタージュによる「発見」と「創出」、そして「異質」なものに対する「排除」という論理(『都市と民衆』一九九三年、吉川弘文館)が、基本的な論理としてほぼ共通して援用されていることである。

 こうして近代都市空間の「均一的」志向を前提とする立場から、「異質」を「排除」するものへの厳しい批判が行われる。例えば中嶋、阿部、安保各論文が取り上げる賀川豊彦や桜田文吾らのルポルタージュ、市「当局」の各種社会調査、徳川家達や渋沢栄一ら有力者の視察や社会事業を、論者は「ステレオタイプなイメージの供給」(四一頁)、「私的な慈善行為」(三七頁)、「非『市民』の烙印」を押すもの(二二三頁)と論じている。これらの人々の「差別のまなざし」に対する倫理的な批判はここではあまり意味がないばかりか、こうした論断は差別の認識枠組みの形成を「当局」やルポライターの宣伝などの作為に単純化し、多様な社会的要因を把握する視野を狭めることにはならないだろうか。中嶋氏はいくつかの都市史研究について「当時の資料に表現された都市下層像」を「無批判に実態化」する非を論じているが(一九頁)、まさしくそのとおりで、「当局」と「被差別」、「公」と「私」といった二元対立を前提とした言説論の解釈ではなく、「当時の資料」を多面的に検証するなかで多様な都市下層社会と認識枠組みの形成のプロセスを同時代の文脈を通じて内在的に把握する必要がある。

 こうした近代都市支配の側からの差別認識枠組みの立ち現れ方とは別の解釈として、本書では石瀧論文が、庶民意識のレベルで解放令による身分間接触の拡大が「ケガレ」による忌避感情を喚起し、住む場所による識別という部落差別の顕在化をもたらしたと結論し(七九頁)、また黒川論文は、町村合併という共同体の再編のなかであらわになる民衆の「家」意識と結びついた人種主義に基づく「特種」認識をその要因に挙げている(一六六頁)。これらの指摘は、差別意識が近代化との対抗のなかで民衆意識の内側からも表出したことを示し、近世近代の連続性や伝統社会との関連の上で差別意識の形成を捉えようとするものといえる。また友常論文は、近代皮革産業の展開のなかで都市内部あるいは近郊に被差別部落出身者が形成した集住─定住集団が、差別をめぐる地域の社会的緊張を解消する一定の機能を持ったと指摘している(一三七頁)。都市支配に起こる矛盾を都市の境界地域が緩和したというのは、近代都市支配の空間構造を考える上で重要な論点である。

 評者は、この一〇年ほど関東近県の博物館や資料館、自治体史編纂などの職員と歴史研究者らで構成する首都圏形成史研究会(高村直助会長)で、この地域の都市形成の多様な局面に関し討論を重ねる機会を得てきた。その成果として近年、「大東京空間」という一九二〇〜三〇年代の権力空間の構造を、都市間・都市内部の中心─周辺論を軸に政治史・社会史的に考察した共同研究を発表した。またその後は新たに、道路や水道、塵芥処理場や公設市場といった社会資本・施設など、いわば都市の「装置」を素材として行政、政党、企業、住民など多様な主体がどのように都市の政治社会構造を織りなすかを解明しようとする研究会に参加している。その問題意識は代表の松本洋幸氏によれば、都市を「官僚制支配」や「近代的規範の順化」の対象としてでなく、また都市空間を「均一的」なものではなく多元的な政治社会過程の場として具体的な「装置」から捉えようとすることである。そして「装置」という概念を用いるのは、従来の研究が偏りがちであった都市支配の「形成」だけでなく、その「維持」の仕組みを解明する上で有用であるとの認識からである。大阪を中心に展開を始めた近代都市史研究は地域や対象、方法論に広がりを見つつ、なお様々な可能性を模索している段階といえる。