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2005.10.27
書 評
 
青木  紀

(社)部落解放・人権研究所編

解放出版社、2005年4月、A5判・221頁、2500円+税

 卒業論文や修士論文作成などの指導にあたって、いつも私の頭を悩ますのは、学生たちが「フリーター」「ニート(NEET)」「ひきこもり」あるいは「児童虐待」「発達障害」、そしてやや古くは「不登校」「非行」などの問題に関心を持ってくれることのうれしさの反面に生まれる、もう一つの具体的に困難な面、すなわち、それらの学生を上記の課題にどう立ち向かわせるかということである。

 このギャップは大きい。私たち研究者でさえ、当事者たちへのインタビューとなると、ことは容易ではない。まして、小学校や中学校からでさえ、事実上分離されたかのごとく「進学コース」を歩んできた学生たちに、その対極に位置するような当事者たちと接触させることは至難の業である。そこには、同じ年齢の若者の間にさえ、すでに越えがたい壁がつくられてしまっているからである。私の知る限り、勤務する大学の性格にも影響されていると思うのだが、当事者たちと「こだわりなく」「すっと」関係が持てるような学生はほとんどいないといっていい。それもやむを得ないことではある。彼ら・彼女らは、上記のように、早い段階から、違った船に乗って大人へと航海しているような現実があるからである。私だけではないであろうが、教育学部という職場で研究・教育をしている教員として、このあたりをどう突破するかということに、ますます頭を痛めてきている。

 そこに、評者たち(私の指導する大学院生を含んで)もまた、「しなければならない」と考えていた課題に取り組んだ本書が登場した。今流行の、キャッチーなタイトルではないかもしれないが、文字通り「社会から排除される若者たち」に直接接触することによって、その生活と意識を捉えた、貴重なフィールドワークから生まれた作品である。これまでの「フリーター」研究の多くが、いわばマクロ的な接近を主としていたのに対して、同じフリーターの若者でも、比較的恵まれた若者たちではなく、「より深刻な、困難な状態に置かれ、しかし十分に目が向けられていなかった若者たち」(úB頁)を対象に、ミクロ的な視点に立って「まずは詳細な現状把握がなされなければならない」(6頁)という立場から、彼・彼女らのインタビューをし、そこで得られた「語り」を分析して出来上がったのが本書である。評者として、もっともアプローチがしにくい、四〇名もの社会的に不利な立場にある若者に接触し(「大阪フリーター調査」と命名され)、その「生の声」を拾い上げたという、著者たちの地道で困難な作業の遂行に対して、まずは敬意を表したい。

 本書の内容に少しだが立ち入ってみると、すべての章が「社会的に排除されている若者たち」の生活と意識(生態)をそれぞれの視点から扱っており、そこに見る一片一片の「語り」や観察者たちの指摘には、興味深いものが多く見られる。欧米における「社会的不利を負った若者研究」には相当数の研究成果があり、若者の生活をトータルに捉えるという視点は比較的定着しているが、日本ではまだまだ弱い。とくに「若者の生活」を確実に捉えているものは少ない。そのなかで、事例に即して、生育家族、学歴達成、ジェンダー、遊び、学校教育、就職現場、就労支援事業、ネットワークなど、複数の観点から、ここまで多面的に分析した成果は高く評価されるべきである。

 なかでも評者の関心からは、「ジェンダー」や「遊び」にも焦点化しながら問題を分析していること、親たちと若者たちの「関係」、とくに親たちが若者たちをコントロールできない現実の上に、不安定に、妥協的に成り立っているかのごとく見える家族像、またいわゆる定時制・通信制に通う若者の実像など、それぞれ教えられることが多かった。そしておそらく、その対極にあるミドルクラスの「計画」された子育て・家族(=Concerted Cultivation. Annette Lareau, 2003, Unequal Childhoods: Class, Race, and Family life, University of California Press.〈A.ラリュー『不平等な子ども期』未訳〉)のありかたと比較すると、もっとくっきりした、社会的に不利な立場に置かれたる若者とその家族像が浮かんでくるかもしれない、とも思った。

 しかし、少しだけ読後感として残った問題点をいえば、細かいことでは、「語り」の統一的記述、その量及び質を含めた扱い方(重複等)のこと、さらに、「排除」というタームをすべての場面に使うことによって、問題点の指摘を「急ぎすぎている」と思われること、また各章で課題を分担していることによってであろうが、読者に説得的な「不平等の再生産」という枠組みを印象づけているかというと、いくぶん疑問は残ること、などをあげなければならない。

 とはいえ、本書は、今後増えることを期待したい、不利な状態にある若者のミクロ的研究に、間違いなく先鞭をつけるかたちで一石を投じる成果である。