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2005.12.13
書 評
 
中尾 健次

松下志朗著

『近世九州の差別と周縁民衆』

海鳥社、2004年4月、四六判・292頁、定価2,500円+税

 本書は、九州における被差別民衆史研究の第一人者・松下志朗氏によって二〇〇四年四月に刊行された最近作であり、そこには、一九八九年から二〇〇二年までの論文が掲載されている。

 松下氏は、『近世奄美の支配と社会』(第一書房 一九八三年)『九州被差別部落史研究』(明石書店 一九八五年)『民衆と差別の歴史』(明石書店 一九九二年)など、数多くの著作をすでに公にしている。およそ九州における被差別民衆史の研究を志す者は、氏の研究を必ずくぐらねばならない。松下氏の研究をくぐることなしに、つぎの発展はありえないと断言することができる。

 松下氏の研究は、未知の研究対象へのあくなき探求心と、新しい問題提起を真摯に受けとめる柔軟性に裏打ちされている。また、徹底して九州にこだわりつつ、全国レベルでの研究を絶えず視野に入れながら展開する研究姿勢にもその特徴がある。『九州被差別部落史研究』などは、文字どおり九州にこだわった著作であったが、『民衆と差別の歴史』になると、全国的な部落史の成果をふんだんに盛り込み、九州の事例は、そのごく一部を構成しているにすぎない。そうした松下氏の研究姿勢の、もっとも如実に表れた作品が、今回の著作であるように思う。

 本書は三編からなり、第一編が「中世末・近世初期の被差別部落」、第二編が「被差別部落の展開」、第三編が「被差別部落と周縁民衆の生活」となっている。

 まず第一編では、中世と近世の狭間に焦点を当て、第一章(「筑前における被差別民衆」)・第二章(「南九州の慶賀とその周辺」)では、九州を対象として「ケガレとキヨメ」や「呪術性と畏怖感」など、この間の社会史ブームのなかで提起されてきた問題を扱っている。また第三章では、全国的な研究を視野に入れながら、差別意識の根源の一つともいえる「触穢」の問題を扱っている。さらに、第四章では、「中世との連続と非連続」にも言及している。

 「ケガレとキヨメ」に関する研究は、厳密に言えば戦前の喜田貞吉までさかのぼるし、そこまでいかなくても、一九六〇年代の横井清氏による先駆的研究がある。しかし、部落史研究のなかで取り上げられるのは一九八〇年代であり、本格的に論じられるのは九〇年以降であろう。また、「中世との連続と非連続」の問題も、六〇年代後半から七〇年代にかけて脇田晴子・丹生谷哲一・故網野善彦各氏らの研究が発表されて以来、重要な研究課題となったが、本格的に論ぜられるのは、やはり一九九〇年以降である。つまり両者とも、現在の部落史研究が避けて通れない重要な研究課題なのである。そうした新しい課題に着手しつつも、持ち前の実証研究を生かし、たとえば「中世との連続と非連続」では、さまざまな史料を分析した上で、「近世の被差別部落の成立に際しては、連続と非連続の両面性を有していた」(九六頁)と結論づけている。

 第二編は、近世全般を射程に入れ、日向国に位置する各藩の被差別部落について紹介し(第一〜第三章)、さらに鹿児島藩(第四・五章)、福岡藩の革会所についても分析している(第六章)。この部分は、前掲『九州被差別部落史研究』の補遺編ともいえるもので、九州にこだわる松下氏の研究姿勢がここにも表われている。

 第三編では、被差別部落の「周縁身分」に焦点が当てられている。これを本書の題名(『近世九州の差別と周縁民衆』)にしているのも、松下氏自身、今後の部落史研究において、このことが避けて通ることのできないテーマであると認識しているからであろう。

 「身分的周縁」論は、吉田伸之氏が中心となって一九九〇年に発足した「身分的周縁」研究会が提起したもので、部落史研究に関わっては、最も新しい問題提起といえる。松下氏は、第二編・第五章でも、「被差別民衆の総括と周縁身分」という節を立てているが、それを全面的に展開したのが第三編なのである。

 松下氏は、周縁身分として第二編の第五章で「座頭」と「瞽女」を取り上げ、第三編では、「放浪者」「盲僧」「島差別」について展開している。ちなみに、「身分的周縁」研究会の中心的な研究者の一人である塚田孝氏は、『近世身分制と周縁社会』(東京大学出版会)において、「遊女」や「芸能者」「猿飼」などを取り上げている。ここでくわしく触れる余裕はないが、「周縁身分」あるいは「身分的周縁」は、研究者によってイメージが異なるようで、じつにさまざまな人びとによって取り上げられている。

つまり「周縁」の概念や、その範囲をどこまで考えるのかなど、基本的な点でいまだ煮詰まっていないきらいはあるが、いずれにせよ部落史研究にとって、避けて通れない研究課題であることはまちがいない。そのことにいち早く言及した松下氏の柔軟さは、驚嘆に値する。

 一昨年になるだろうか、鹿児島で部落解放研究全国集会が開催された折、松下氏が鹿児島の部落史について講演され、そのとき評者は司会を務めた。その折、体調を崩して入院していたとうかがったが、本書の「あとがき」にも、病に倒れ定年まで一年を残して退職された旨のことが記されている。しかし、評者にとっても、さらに若い研究者にとっても、その温厚篤実な人柄もあって、松下氏は大きな目標となっている。健康に留意され、いつまでもご活躍くださることを切に念願している。