本書は、『日系アメリカ人のエスニシティ』などの研究で知られる文化人類学者、京都大学人文科学研究所教授竹沢泰子氏が主宰して二〇〇一年四月から三年間行われた共同研究「『人種』の概念と実在性をめぐる学際的基礎研究」の成果を中心にして編まれた論文集である。全体は五部に分かれ、第一部は総論、以下、第二部「白色人種」「黒色人種」「黄色人種」、第三部「近代日本における人種と人種主義」、第四部「植民地主義とその残影」、第五部「ヒトの多様性と同一性」という構成になっている。内外の気鋭の人類学者、歴史学者、社会学者などによる論考はいずれも示唆に富み興味深い。
好みや癖の違いなどから「あいつとは人種が違う」とか、また「政治家などという人種は」などと、人種とは日常によく使われる言葉であるが、その内容も意味もはっきりしないまま用いられて、その言葉が含む重い意味が忘れられがちである。片山一道氏が述べているように、生物人類学者でも「人種とは何か」と聞かれれば一瞬ためらいを感じ、なるべく触れたくない話題とする傾向があるうえ、学術用語としては使用に堪えない問題外の用語であると指摘する。しかし、「されど人種の亡霊は今も」と片山氏が言うように、人種と人種主義は現在でも人間世界のさまざまなところに顔を出して混乱させ、悲劇を生み出す。
竹沢氏が冒頭に、「二〇世紀は、ホロコーストをはじめ、人種主義に根ざす多くの悲劇を生み出した」と言い、イラク戦争や九・一一後のアメリカ社会での中東系アメリカ人に対する差別、日本でも北朝鮮問題などでの在日朝鮮人に対する嫌がらせ、また移住労働者に対する差別などがあると指摘するように、「人種偏見・差別」に起因するジェノサイドや社会暴動など、ルワンダやインド、アチェにチベットにフランスや英国にと、「人種差別」「人種偏見」は亡霊どころか現代社会・国家の実に深刻な問題として存在することが解る。そうであるのに、この問題は学会でもマスコミ・社会でも正面からきちんと取り上げられ論じられることが少ない。それだけ問題は複雑で微妙で、客観的な分析が明確に行われがたい面があるからであろうか。
本書は、この難しい問題に果敢に挑戦した注目すべき研究であり、重要な問題点に可能な限り迫った力作である。「人種」研究の状況と問題点を的確に述べた竹沢氏の第一部総論に始まり、第二部ではヨーロッパと北米、中国の問題が論じられる。「人種」はヨーロッパに発する概念であり、人間をそもそも「白、黒、黄」などに分けること自体がすでに誤謬に違いないが、それが意味を持ち、ある種の要請のもとにいかに作られていったか(オードリー・スメドリー氏)、中国において「白種」対「黄種」の対立がどうしてできたか(坂元ひろ子氏)、などに関しての論考がある。人種概念の形成に関するヨーロッパとインドの思想的交差の問題指摘(田辺明生氏)は興味深い仮説である。
第三部は、近代日本における人種と人種主義について論じている。明治期から第二次世界大戦後にいたる日本近代に「人種」「民族」がいかに研究対象とされ、それが時代の変化のなかでどう変わっていったか、坂野徹氏の論考は問題点を的確に抉り出している。黒川みどり氏は人種主義問題の視点から近代日本社会の「部落差別問題」を論じている。黒川氏はこの観点に立つことにより、「部落差別問題」を近代社会一般に内在する「普遍的問題」として捉えることを可能にすると指摘しているが、これはさらにダイナミックに展開されることを期待したい重要な問題提起である。
第四部では、植民地主義の問題が論じられる。インドにおけるカーストの問題を伝統と近代(植民地化)の関係の中に捉えるサブハードラ・チャンナ氏、栗本英世氏のアフリカにおける人種主義、特に近代西欧の人種概念とアフリカ土着の人種概念の融合による現代アフリカの人種主義の指摘は重要である。人種分類論のセム、ハム、ニグロなどの概念による差別意識がルワンダにおけるツチとフツの虐殺に影響を与えたと論じる栗本氏のこの論文は、本書の中でも際立った力作である。
第五部は、生物・形質人類学者を中心とする論考である。先に引用した片山氏をはじめ自然科学的な「人種」への現代的なアプローチが示されていて興味深い。「人種」は生物学的に見て有効な概念ではないとする論考(C・ローリング・ブレイス氏)や、「人種よさらば」という論文(斎藤成也氏)、日本人生物人類学者の問題(片山氏)など、「ヒト」からみての「人種」の今日的な捉え方が表れている。多賀谷昭氏が「人種」をめぐる文化人類学者と自然人類学者の立場の違いと両者の間に横たわる認識の差異に注目していることは、大変参考になる。「文化人類学者によるステレオタイプ批判が時に断罪にまで発展していることをみると、文化人類学者といえども自らの認知体系を相対化することが困難らしいことがうかがわれる」と指摘していることには十分意味がある。むしろ自らの認知体系を相対化できないことが、特に今日の日本の文化人類学者の多くが入り込んでしまった学的な隘路であると思われるからである。
ここではごく簡単に概要を紹介したにすぎないが、本書は、単に専門研究者の間だけでなく、広く一般にも読まれるべき内容を備えた注目すべき「人種」に関する貴重な論文集である。改めて多くの読者にお勧めしたいと思う。