急激な高度経済成長を成し遂げ、豊かな先進国の一員となった日本にとって、貧困という言葉の持つ力はずいぶん色褪せたかに見える。とはいえ、景気後退に突入した一九九〇年代半ば以降、格差や二極化という言葉が巷に氾濫し、将来に対する漠然とした不安が再び日常生活を覆い始めた。大量リストラから生まれた失業者、ホームレス、ひきこもりやニート(NEET:Not in Education, Employ-ment or Training)と呼ばれる若年無業者、独居高齢者など、社会のなかで居場所を失ったさまざまな人々がわれわれの眼前に広がっている。だが、人々の背後に、何らかの共通した特徴や引き金となった原因を探ろうとしても、その試みは空しいものとなるだろう。なぜなら、いま現れつつある不平等は、金銭の欠乏という意味での貧困へと必ずしも還元できるものではなく、むしろ仕事の喪失、社会参加する機会の減少、人間としての尊厳の喪失など多元的な要素をはらむものだからだ。
では、貧困はなくなったのだろうか。あるいは、もっと別の事態が生まれつつあるのだろうか。この問いかけに対して、本書は格好の案内役となるだろう。本書は、現代社会の不平等問題を理解する新しい枠組みとして社会的排除アプローチを紹介し、その内実を詳しく解説している。
共著者であるアジット・S・バラとフレデリック・ラペールは、ともに開発経済学を専門としながら、世界各国の不平等問題や開発支援の研究に取り組んでいる。主として、バラがインドや中国などアジア諸国を研究対象としているのに対して、ラペールはヨーロッパ諸国、とりわけ東欧を中心に研究を進めている。ヨーロッパ諸国から開発途上国にいたるまで幅広い地域を視野に収めた両者の研究成果は、細部まで目配りの利いた本書で遺憾なく発揮されていると言えよう。
本書の前半部において、バラ&ラペールは、貧困や剥奪概念と比較させながら、社会的排除アプローチの特徴を抽出していく。著者らは、社会的排除を、<1>経済的次元(所得や財)、<2>社会的次元(医療や教育など社会サービスへのアクセス・労働市場へのアクセス・社会参加の程度)、<3>政治的次元(政治的代表権)という三つの次元に整理して、多面的なプロセスとしての特徴を描き出している(第一章)。さらに、この三つの次元を「分配の問題」と「関係の問題」へと振り分けながら、とりわけ後者の問題、つまり社会とのつながりを喪失する=排除されることの重要性を強調する(第二章)。この「分配」と「関係」の問題を引き起こす主たる要因こそ、長期失業と不安定就労という労働問題にほかならない(第三章)。
このような理論的枠組みに依拠しつつ、後半部では、派遣労働・期限付き労働・試用期間労働からなる不安定就労と長期失業が常態化している先進工業国(第四章)、社会体制の大転換に伴い不平等化が急速に進んだ移行経済国(第五章)、さらに脆弱な民主主義制度に悩みながら、経済のインフォーマル化が止まらない発展途上国(第六章)の現状が順番に考察される。末尾では、先進工業国・移行経済国・発展途上国をともに飲み込むグローバリゼーションへの言及がなされ、いわば社会的排除のグローバル化が示唆される(第七章)。
本書の位置づけとして、以下の二点を指摘することにしたい。
第一に、本書は、社会的排除について、かなり包括的に論じた書籍だと言うことができる。著者らは、社会的排除の代表的論者であるグラハム・ルーム、ヒラリー・シルバー、セルジュ・ポーガムらの研究をふまえながら、社会的排除アプローチの一般化を推し進めている。さらに、その理論的枠組みを先進工業国・移行経済国・発展途上国のケーススタディへと適用することで、社会的排除概念の有効性を実地に検証している。その点を想起すれば、本書は、理論と実証がバランスよく配分された構成だといえよう。
第二に、本書は、社会的排除アプローチが有効である理由の一つを、グローバリゼーションという社会的条件のなかへ積極的に見出だしている。バラ&ラペールが抱く問題意識の背景には、不平等問題の解釈をめぐる混乱した現状がある。一方で、社会的排除概念が導入された結果、その社会のなかで生じる相対的な不平等まで広く視野に収められるようになったが、その傾向はあくまで先進工業国に限られたものだった。他方で、発展途上国では、餓死にいたる極度の窮乏状態あるいは内戦や虐殺など政治問題が生まれ、人々の生命が脅かされる事態が起こっている。
このように先進工業国と発展途上国の間には、不平等に対する解釈に大きな乖離が存在している。言い換えれば、グローバリゼーションという条件のもと、社会的排除アプローチのなかには、不平等に対する相対的基準と絶対的基準がダブル・スタンダードとして混在しているのだ。一国内の不平等と国家間の不平等が錯綜するグローバルな状況に対応すべく、バラ&ラペールの射程は社会的排除アプローチの普遍化に及んでいる。アマルティア・センが提唱するケイパビリティ・アプローチ(人々の「生活の質」を、単なる満足度や資源の多寡ではなく、人々が実際になしうることに基づいて評価する考え方)への高い評価も、この文脈から理解されるべきだろう。
最後に、今後論ずべき点を二つ指摘することで、書評を終えることにしたい。第一に、社会的排除に抗しながら、いかにして社会的包摂を進めていくのか、その政策手法に関する分析をさらに進める必要がある。事実、ヨーロッパでは、社会的排除概念の導入は、排除された人々の社会的包摂を目的とする政策的実践の推進と分けて考えることはできない。一例として、地域コミュニティの包摂的機能が政策ターゲットの一つとして見直されていることを指摘しておこう。
第二に、社会的包摂を進める前提作業として、社会的排除の状態を明確に指標化し、判定基準を確立することが重要な課題の一つとなる。この作業は、不平等の深化に立ち向かう国際的な政策動向を反映したものでもある。近年、社会的排除アプローチは、EUだけではなく、ILO、世界銀行、アジア開発銀行などさまざまな国際機関において有効な政策ツールとして採用されている。社会的排除のグローバル化に対応するには、共通指標の開発を欠かすことはできない。
ともあれ、社会的排除アプローチの導入が緒についたばかりの日本において、本書が基本文献の一つであることに間違いはない。今後、いかにして社会的排除アプローチという知的所産を手の内に収め、実際に活用できるものへと彫琢していくか、その作業はわれわれ一人ひとりの手に委ねられていると言えよう。