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2006.05.02
書 評
 
越田 幸洋

高田一宏著

(明治図書出版、2005年4月、A5判・106頁、1560円+税)

  最近、学校と地域の関係づくりの動きに大きな変化を感じている。

  著者は、本書の冒頭で「学校・家庭・地域の連携や地域・家庭の教育力の向上は、それらの必要性が再三唱えられてきたわりには、実質的な進展に乏しかったのが現実である。風向きが変わり始めたのは、最近一〇年ぐらいの間であろう」と述べている。確かに最近の一〇年間は、学校と地域の関係づくりが盛んに論じられ、実践化されてきた。とはいっても、論じ、実践してきたのは地域側のみであった。その傾向が、ここにきて大きく変わってきた。学校側が、学校と地域の関係づくりに関心を強く抱き、その手法を学びだしたのである。

  しかし、残念なことに、学校と地域の関係づくりについては、まだ確かな論理がほとんどない。山本恒夫が提唱した「学社融合論」は、現在の活動を支える理論となっているが、目指すところは教育体系の再構築にある。そのため、現場の教職員や地域関係者には、方法論的には学ぶところが多いものの、めざす方向性を探るには参考にしにくいと思われる。

  その点、本書は、学校と地域の関係づくりがめざすところを「教育コミュニティ」の創造にあるとしていて、学校と地域の関係づくりの到達点がイメージしやすくなっている。日常的な実践に取り組む学校現場の教職員や地域関係者には、大変参考になると思われる。

  本書の「教育コミュニティ」論は、著者の恩師である池田寛による「教育コミュニティとは、地域社会の共有財産である学校を核とし、地域社会の中で、さまざまな人々が継続的に子どもにかかわるシステムをつくり、学校教育活動や地域活動に参加することで、子どもの健全な成長発達を促していこうとするもの…(中略)…地域社会の教育力の向上、並びに学校、家庭、地域社会の協働をめざすものである」という論理をもとにしている。著者は長年にわたり、その論理を各地の実践において検証するとともに、新たな論理の構築を試みている。本書は、著者のそのような研究活動の成果をまとめたもので、前半では教育コミュニティ論について記し、後半では教育コミュニティづくりの実践例を分析している。

  著者は、第1章「教育コミュニティの創造」において、「学校だけが教育の場ではない。教師だけが教育の担い手ではない」と書き出して、増える学校批判に疑問を呈し、「重荷を一緒に持つような関係がつくれないだろうか」と、教育コミュニティづくりにかける根底にある思いを吐露している。そして、「今、必要なのは、学校内外の人々が子どもの実態や教育のありようについて関心を共有したり、課題解決のために協力することである」と述べ、教育コミュニティ創造の必要性を切に訴えている。

  著者は「そのきっかけは、日常的に転がっている」と言う。そして、「青少年育成活動」「完全学校週五日制」「子どもの安全確保」「子育て・家庭教育支援」「総合的な学習の時間」「学校のアカウンタビリティ」という視点から、課題と今後の方向性を論考している。印象に残った言葉を抜き書きしてみよう。

「学校内外の人々がもっと率直に意見交換する場はできないものだろうか」

「大人たちは、子どもたちの学校生活と家庭生活や地域での生活の連続性についてもっと考える必要がある」

「子どもの安全確保に関しては、できるだけ多くの人が無理なく参加できるしくみ、参加する人々がやりがいや充実感を実感できるしかけが必要である」

「親を孤立から解き放つことがもっと重視されてよいのではないか」

「学校外の人々の参加は、地域と学校の双方に利益をもたらすものとして考える必要がある」

「学校に関係するあらゆる人々の参加によって学校づくりをすすめていくという方向性ははっきりしている」

  これらは、すべて、学校と地域の関係づくりの基本となる考えである。実践のなかに身をおき、実践を見据えた著者だからこそ、極めて重要なことを平易な文章で書き綴ることができたのであろう。

  第2章「教育コミュニティづくりの現場」では、「子育てを通して地域を変える―大阪府・岬町地域教育協議会」「地域文化の創造と人権のまちづくり―大阪府・北条中学校区ふれ愛教育協議会」「重層的なネットワークの力―大阪府・松原市」「地域ぐるみの子育て―大阪府・鳴滝地区地域教育推進会議」「地域に学ぶ『トライやる・ウィーク』―兵庫県・姫路市朝日中学校」という五つの実践事例を分析している。

  いずれにも、教育コミュニティの形成過程や具体像が記されているが、これらの事例における教育コミュニティづくりが、それぞれの地域の歴史的課題(部落差別など)、あるいは新たに起きた課題(学校の荒れなど)を克服することをめざして取り組まれ出したことが共通している。教育コミュニティづくりは、まずは、地域の課題の共有化から始まるということであろう。

  著者は、松原市における一九六〇年代からの現在までの取り組みを、「地域住民と学校が子どもの教育について課題意識を共有し(第一期)、学校教育活動を通じて校区の子どもたちの関心を紡ぎ(第二期)、中学校区の教職員のネットワーク化や地域活動の活性化を図る(第三期)」という三段階に分けて整理している。やはり課題意識の共有化が出発点にある。評者も松原市の実践に少しばかり関わったことがあるが、学校が積極的に地域に働きかける地域である。松原市の実践分析からは、教育コミュニティづくりには学校側の高い意識と積極的な行動が必要であることが読み取れる。また、学校が高い意識を持ち、積極的に行動することで、教育コミュニティ形成を促進できることも教えてくれる。松原市の事例では、授業における協働についてもふれているが、情報は極めて少ない。教育コミュニティづくりには、授業での協働は不可欠であると考える。著者には、別な機会に、その点からの論考を期待したい。

  順序が逆になったが、最初の岬町の事例では、教育コミュニティ形成をすすめる推進組織についての論述が興味深い。岬町の推進組織は、時とともに名前を変え、姿を変えてきている。これは常に活動が評価され、新たな課題が再認識され、その解決のために組織の改編を行ってきたことを意味している。教育コミュニティを形骸化させないためには、このような恒常的評価活動、新たな課題認識の共有化、組織改編による新たな協働といったことが大切なのであろう。

  二つ目の北ほうじょう 条中学校区の事例は、学校の荒れに端を発した学校と地域の協働が、それまでからあっただんじり太鼓から「北條太鼓」という具体的な地域活動を生み出し、それを中核として教育コミュニティが形成されていく過程を分析したものである。生み出された北條太鼓は、荒れの沈静化を図るとともに、学校の授業でも取り上げられるようになる。著者はそれを見て、「地域が変われば、必然的に学校での学習内容も変わるのである」とし、さらに「今、学校に求められていることは、地域に開かれた学校づくりと地域住民の教育参加をさらにすすめ、地域の大人から学び、大人たちの活動を継承、発展させていく子どもを育てることなのだと思う」と述べている。

  四つ目の鳴なるたき 滝地区の事例では、「保護者自身が楽しむことを重視する」ことや、「教育・保護者関係者は保護者どうしのつながりをつくる『触媒』の役割を果たす」ことといった、学校と地域の関係づくりにとって大切な考え方が整理されている。

  五つ目の朝日中学校の「トライやる・ウィーク」では、多大な成果は認めるものの、体験が地域活動の実践へと繋がっていない現状への危惧を記している。教育コミュニティを形成するためには、地域側にもメリットをもたらす工夫が必要なことを指摘しているのである。

  今、学校と地域の関係づくりは、新たな局面を迎えている。学校教育関係者の参加は、学校と地域の関係づくりを加速させるに違いない。不安なことは、学校支援ボランティアの考えから抜け出せないことである。本書を手がかりに、発想を転換してほしいと願うばかりである。