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2006.06.15
書 評
 
松井  章

中島久恵著

モノになる動物のからだ
−骨・血・筋・臓器の利用史−

批評社、A5判・一七九頁、二〇〇五年一一月、二四〇〇円+税

  生きた牛や豚が屠畜、解体されて肉屋に並ぶまでの過程は、多くの人々にとって、わざわざ知ろうとは思わない部類の情報だろう。この本の著者である中島久恵氏は、あえてこの食肉生産の過程で生じる副産物(本書では副生物と記される)である骨、血、筋、臓器に光を当て、化学、民俗学、民族学、考古学、部落史の資料を渉猟し、モノとしての家畜の活用を徹底的に解明しようと試みた。ちなみに評者、松井章は動物考古学を専門とし、死んだ牛馬の利用の歴史を学んできたが、本書を一読した結果、自分がいかにこの分野に無知であったかを思い知らされた。そこで主として私自身の関心を中心に本書の紹介をさせていただく。

  まず最初の章は骨細工、骨粉、骨灰・骨炭、骨油・膠と骨の利用についてで、私の専門と重なるところが多い。

  骨の道具が伝世品として残ることはほとんどないが、近年の中・近世遺跡の発掘では、骨や角細工によって生じた多くの廃材や未製品が出土し、骨角製品が深く人々の生活に根付いていたことをうかがわせる。セルロイドやプラスティックが実用化される前、動物の角や骨、そして蹄は、硬く弾力があり細工もしやすいことから、実生活では様々な道具の素材に使われてきた。その伝統は旧石器、縄文時代に遡るが、動物に対するケガレ意識が強化された中世後期、つまり室町時代になると武器や武具の需要の増大に比例して、それらに使われる骨や角の部品の生産が、いっそう盛んになったことが明らかになりつつある。ただ本書では、この骨細工の実例として中世鎌倉や近世江戸の出土遺物をもとに多様な製品があったことを論じるが、むしろ、関西の発掘例を中心に紹介して欲しかったと感じる。

  実際に中・近世考古学で骨細工を最初に体系的に捉えたのは、一九九九年に三四歳の若さで夭逝した大阪市文化財協会におられた久保和士氏で、彼は大阪市長堀の発掘で出土した櫛払(くしはらい:櫛の汚れを取り除く道具)という骨の道具が、素材から製品となるまでの工程を復元した(久保、一九九九)。さらに、評者らも中世の尼崎市大物遺跡(丸山・藤澤・松井、二〇〇五)や、近世の大坂城下町(宮路・松井、二〇〇四)の報告で、笄(こうがい:髪を掻き上げるのに用いた道具。後に簪[かんざし]のような髪飾りになった)の製作工程を復元したり、食肉、薬用、骨細工の骨を分類し、それぞれの特徴を明らかにし、関西がこうした骨角細工の研究の中心にあると自負している。

  骨細工に続く次の骨粉の利用も、評者の研究テーマに大きく関連する。車のエアコンが普及する前、夏の暑い日に必ず窓を締めなければならない場所があった。その悪臭のもとが骨粉工場だったのだ。その骨粉生産が江戸時代中期、薩摩商人と摂津渡辺村との間で始まったという文書の存在が近年明らかになり、二〇〇四年八月、私たちは鹿児島県知覧町に残る骨粉水車小屋の跡を発掘し、その創業年代と構造を明らかにしようとした。

 薩摩藩は江戸後期になると骨粉肥料を専売制とし、西日本一円で牛馬骨を買い付け、薩摩まで運んで砕いて肥料とし、シラス台地の菜種生産を飛躍的に増大させ、藩の財政を潤した。古代や中世の遺跡を発掘すると牛馬骨のつまった溝や穴が発掘されることがあるが、これは死んだ牛馬の皮を剥ぎ、肉や角、爪をとった残りの骨を捨てた跡である。ところが近世になるとそうした遺構が姿を消し、遺跡から骨の出土が激減することに私は以前から気がついていた。そして、近世における牛馬骨の出土例の減少を、近世初頭の斃牛馬処理権の確立により、従来は捨てるしかなかった牛馬骨を効率よく大量に集めることが可能になり、骨角細工や骨粉肥料の原料として流通するようになって遺跡から姿を消した結果であると推定した(松井、二〇〇四)。

  食肉以外の家畜の皮、骨、毛などを利用することを化製業といい、「第5章 化製業試論〜二○○一年九月、そして」では、その歴史について詳述されている。この用語は一八七五(明治八)年に、死んだ家畜を有効利用することを「化製」と称したときに始まった。化製場とは、獣畜の肉、皮、骨、臓器等を原料として皮革、油脂、膠、肥料、飼料その他の物を製造するための施設であるが、そこでは長年にわたって悪臭と汚水が問題とされてきた。特に京都では、一八七八年に下京区で牛骨を焚き上げ、牛脂を製造していた業者が、周囲の苦情により市内での営業を差し止められて愛宕郡に移転したとの記録があり、一九三一年には下京区にあった皮革、骨製櫛、肥料用骨粉製造など化製場八カ所の移転問題が報じられる。一九六〇年代になると日本各地で化製場が引き起こす環境汚染が社会問題化し、一九七一年には悪臭防止法と同時に、家畜死体等処理施設設置事業がはじまり、化製場で生じる悪臭や汚水が改善された。またその間に、多額の投資ができなかった小規模な業者は廃業に追い込まれ、化製業も大型化、合理化がすすんだ。

  ところが、二〇〇一年九月、肉骨粉の生産とBSE(牛海綿状脳症)の発生とが結びつけられたことによって、この業界は壊滅的な状況に陥った。人間は牛の成長を早めようと、草食性である反芻動物の牛に、屠畜した牛から製造された肉骨粉を与えて共食いをさせる結果を引き起こした。ところが肉骨粉の原料となった牛のなかにプリオンという異常タンパク質を持っていたものがあり、肉骨粉を通じてそのプリオンに感染した牛にBSEを引き起こし、さらに人間にまで感染しかねない状況にしてしまったのだ。

 しかし、飼料用・肥料用の肉骨粉等および肉骨粉等を含む飼料・肥料の製造、および販売の一時停止によって生じた、本来有用な栄養素や化学物質を含む副産物を余分な金をかけて大量に処分する現状は、一時的な措置であるべきで、BSEの問題が解決したら、一刻も早く、モノとしての牛馬の資源の有効利用に復帰すべきと説く。私たちは一〇〇グラムの牛肉を得るために、いったいどれだけの対価を払うことになるのだろうかと問いかける。

  筆者が最後に触れている、人間のからだを「資源」とみなす様々な取り組みが広がっていることにも注目すべきである。輸血や骨髄移植といった、生きた人間からの同意を前提とするその人間のからだの一部の提供だけでなく、脳死による臓器の提供や、不妊治療で「余った」受精卵(余剰胚)や中絶胎児のように、提供者自身の「死」を前提とした人間の身体部分の活用も知らず知らずのうちに身近な事態となりつつあり、ヒトと動物の死の境界が曖昧になってきたことに警鐘を鳴らす。

  通読して、この化製業というモノとしての動物の利用が、しばしば悪臭と汚水を生じさせ周囲の環境を汚染するが故に、周囲の住民らから疎まれて差別の対象となってきた歴史、さらに、BSE騒動を通じて直面させられている今日の新たな困難について、考えさせられた。

  このように、本書は食肉生産の副産物である血、骨、筋、内臓などの利用を様々な関連分野の知識を総合して、ちょっと思いもつかないような多様な利用の歴史を浮かび上がらせることに成功した。モノとしての動物がいかに活用されているか、これまで漠然とした知識しか持ち得なかったテーマについて、膨大な資料を鮮やかな切り口で整理し、明快に私たちに解説してくれる労作である。

文献

久保和士(一九九九)「牛骨を埋めた柱穴について」久保和士著/久保和士遺稿集刊行会編『動物と人間の考古学』真陽社、一〇七-一三三頁。

松井章(二〇〇四)「近世初頭における斃牛馬処理・流通システムの変容」『文化の多様性と比較考古学』考古学研究会、四〇七-四一六頁。

丸山真史・藤澤珠織・松井章(二〇〇五)「大物遺跡出土の人骨および動物遺存体について」『尼崎市埋蔵文化財調査年報 平成七年度(6)』尼崎市教育委員会、三一-七〇頁。

宮路淳子・松井章(二〇〇四)「大坂城下町跡出土の動物遺存体の分析」『大坂城下町跡úK』大阪市文化財協会、四一九-四五一頁。