本書は、インタビューを通して得られた「語り」をライフヒストリーでも生活史でもなく「ライフストーリー」と呼ぶ。そのうえで、その概念枠組みと研究手法について第1部で整理した後、第2部では、いずれもマイノリティという共通項をもったコミュニティにおける具体的な「語り」を素材として、さまざまな論考を収めた入門書である。
一般的に語り手自身の内にあるものとイメージされている生活史やライフヒストリーと異なって、ライフストーリーとは、インタビュアーと語り手との対面的な言語的相互行為を通じて構築される社会的現実であるとされる。それはまた、全体社会の支配的文化における物語としてのマスター・ナラティヴと、特定のコミュニティでのみ流通する物語としてのモデル・ストーリーとによって重層的に構成されたものとして捉えられる(両者は重なることもある)。被差別者にとってモデル・ストーリーは、主流である支配的文化への対抗文化としての意味をもち、被差別者が自らの物語を別の解釈で語ることを可能にするが、逆に、権威をもつようになったモデル・ストーリーが異なる解釈の生成を抑圧する足枷として働く可能性もあるという。
第2部に登場するのは、ハンセン病療養所入所者、屠場技術者、フィリピン人ボクサー、識字学級生、精神障害者施設スタッフらの物語である。生きた言葉からなるこれら多様な語りは、どれもそれぞれに語り手の「個」を浮き彫りにする魅力に満ちている。私自身の最大の関心はそれら「生の声」がどのように解釈されるのかにあったが、第1部で展開された理論的整理が第2部のフィールドワーク分析において必ずしも反映されているとは言いがたい、というのが正直な感想である。インタビューにおける相互行為の過程を忠実に再現しつつ解釈することが何よりも重要だと述べる一方で、(紙幅の都合とはいえ)その具体的な語りの描写なしに執筆者の解釈と分析だけを示す論考もあり、説得力に欠ける感を否めない。むしろ、「ライフストーリー」の概念と手法について、執筆者たちの間でも共通認識が成立していないのではないか、という印象が残った。
本書において、インタビュアーは語り手に対して中立的立場ではありえないという前提のもと、既成の概念や枠組みに頼ることなく自己言及的に語りを解釈し、描き出し、分析することこそ「ライフストーリーの社会学」にとっての核心であると解釈できよう。そうであるならば、インタビュアー自身が持っているモデル・ストーリー、インタビュアーと語り手との権力関係の非対称性(語り手に対してインタビュアーが持つ権力性)に制約されつつ、そのことに対して自覚的な「ライフストーリーの社会学」はいかにして可能なのか。残念ながら、最後までその疑問は解けなかった。
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