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2006.11.15
書 評
 
北島 健一

炭谷茂・大山博・細内信孝編著

ソーシャルインクルージョンと社会起業の役割
─地域福祉計画推進のために

(ぎょうせい、2004年12月、A5判・235頁、2190円+税)

 本書は、一九九九年に編者の一人でもある炭谷氏(当時、厚生省社会援護局長)の発案で立ち上げられた「日英高齢者・障害者ケア開発機構日本委員会」(以下、委員会)の、その後の五年間にわたる活動の成果をまとめたものである。この委員会は、日本の社会保障制度が社会福祉基礎構造改革によってまさに根本的に変わろうとするなか、日英両国の保険・医療・福祉関連分野の専門家や識者どうしの交流を通して得られた知見を、今後の日本の高齢者・障害者福祉施策の促進に反映させようとの目的で設立された(「はじめに」)。五年間にわたって交わされた意見交換のなかから、委員会がイギリスの経験から学びとったもの、それが、本書のタイトルとして選ばれている「ソーシャルインクルージョン」であり、その理念を実践する「社会起業」である。

  近年、日本でも英米の「社会起業家」論やヨーロッパの「社会的企業」論に関する書物の出版が相次いでいる。それらはいずれも、とくに長期的失業者が陥る社会的排除とのたたかいのなかで注目され始めているイニシアチブであり、行政からも民間営利企業からも本質的な点で区別される、市民社会に基盤をおく非営利組織の現代的な展開を指している。それもあって、これまでの類書は市民社会の目線で対象を論じるものがほとんどであった。本書の際立った特徴の一つは、行政サイドから社会起業に着目したものであるという点にある。副題にもあるように、地域福祉の推進という実践的・具体的な政府の政策課題を念頭において、外国の事例ばかりでなく日本の事例も盛り込んで、社会起業の果たしうる役割を論じている。また、「社会起業」を一般的に論じるのではなく、社会的排除、ソーシャルインクルージョンの問題と関わらせて論じている点も、類書にはない特徴であり、注目に値すると言えよう。

 「第1章ソーシャルインクルージョンの考え方」(炭谷氏)で、この概念に注目した行政サイドの問題意識が明かされている。今日のホームレス、児童虐待、中国残留孤児、などの新しい問題は、福祉ニーズを「貧困と障害」で捉える日本の社会福祉制度からは漏れてしまう。基礎構造改革後になおも残されているこのような政策課題に応えていくためには、問題を「社会的な排除や孤立」という視点からとらえ、福祉の基本をソーシャルインクルージョンにおく、英国のブレア政権の政策から学べるのだという。炭谷氏はソーシャルインクルージョンを「社会から排除されている人々への対応策として、地域社会の仲間に入れていくこと」と定義している。そして、この理念の具体化についても、同じく英国の社会起業家を支援する中間支援組織CAN(CommunityActionNetwork)から学べるという。

 続く三つの章、「第2章日英における社会起業の状況」、「第3章英国の社会起業によるソーシャルインクルージョン(CANの事例をもとに)」、「第4章ソーシャルインクルージョンの多様化と拡がり」は具体的な事例研究に充てられている。

 第2章は、日英両国の「地域作り」組織を包括的に検討し、英国については、開発トラストに代表される「地域型ソーシャルエコノミー」を、日本については、「事業の社会性」ではなく「住民の元気を引き出す」ことを強調するいわば日本型「コミュニティ・ビジネス」を取り上げている。本書がとくに注目している英国のCANの活動は第3章で知ることができる。そして、第4章では、個別の福祉の領域でソーシャルインクルージョンに取り組む日本の社会起業の興味深い実践例がいくつか紹介されている。あわせて、CANとの出会いに大きく触発されて始まったという、大阪府の地域福祉支援計画に基づく「社会起業家育成支援プロジェクト」(中間支援組織の育成)の取り組みも紹介されている。このような活動の広まりが期待されているのであろう。

 最後の「第5章ソーシャルインクルージョンと社会起業の役割―地域福祉計画推進のために」では、地域福祉計画の推進という視点から、あらためて社会起業(家)の役割が論じられている。本書を一読して、おそらく読者は、ソーシャルインクルージョンの考え方の重要性に気づかされる。その考え方は、本書では扱っていないが、いわゆるニートなど若年層の就労問題へのアプローチにも有効だろう。ただし、本書で紹介されている、日本の社会起業の事例のなかには、ソーシャルインクルージョンの理念の具体化とどのように関係するのか不明なものもあるように思う。この概念が本書の最大のキーワードになっているだけにもう少し吟味して欲しかった。おそらくそのあたりの不十分さもあって、一読した限りでは、著者たちが、「社会企業」は「適正な利益」をあげうるし、かなりの雇用力ももちうるものと考えているのか(第2章2、第5章)、それとも、イギリスのようにやはりその活動資金の多くは公的な資金に頼らざるを得ないものであると考えているのか(第3章3)、よく分からなかった。この点は財政的な支援の問題も絡んでくるので重要な問題であると思う。

 また、「はじめに」で故初山氏は、ソーシャルインクルージョンは、単なる共生とはやや異なり、「個々の特性を生かした共生ともいうのであろうか」と指摘している。評者も「地域社会の仲間に入れていく」ことの意味には、個々人の特性への「敬意」も含んでいるものと考える。この観点から、初山氏は、委員会での交流を通して、「利用者のための中立的な第三者機関の具体的な例」の話が出なかったことを惜しまれている。もし実際にこのような話が交流のなかで出ていなかったとすれば、交流パートナーのCANが、英国の多様な中間支援団体のなかでも、社会起業家の強力なリーダーシップを強調するという特色をもつ中間支援団体であることが少なからず影響しているのではないかと推測する。しかし、もし利用者の個性を尊重するならば、その条件として、利用者やその家族、また福祉の専門家やボランティアなどの参加が重要な要素になってくるであろう。また、社会起業家を強調しすぎる場合、後継者が育たないなど組織の持続可能性という点での問題が生じうるとの指摘もある。もちろんCANから学べる点も多いが、このような点にも留意しておくべきではないかと考える。

 とはいうものの、ソーシャルインクルージョンの議論も、社会起業・社会的企業の議論もまだ始まったばかりである。非営利組織の研究者からみれば、本書の意義は、この両者を結び付けて捉えるという視角を正面から提起していることにある。本書をきっかけにして、非営利組織の研究者や福祉の研究者との間で、また行政関係者、福祉専門職者、市民活動家たちの間でコミュニケーションが活発に行われ、さらに議論が深められていくことを切に願う。