本書の特徴
本書は純然たる法学の専門書である。それを、全くの素人の私が評することは、著者・森川恭剛さん、琉球大学大学院法務研究科助教授のせっかくのお仕事を貶めることになることは必至である。
しかし、そのことを承知しながら、あえて書評を書かせていただきたいと思ったのは、本書がその専門性を超えて、ハンセン病問題に向き合っていこうと思う人たちの上に、必ず何らかの力と新しい発見を与えてくれるものとなるという確信が、私の中にあるからである。
そのことは、著者のハンセン病問題に対する向き合い方によるところが大きい。
ある意味難解な法律用語で綴られている本書の紙背から浮かび上がってくるものは、読み込まれた膨大な文献資料の影ではなく、著者がライフワークとしている、沖縄のハンセン病回復者への聞き取りから蓄えられた、一つひとつのライフヒストリーである。つまり、本書からは、回復者一人ひとりの体温が感じられるのである。
本書の論旨からは少し外れた注目の仕方になるかもしれないが、著者は、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟熊本判決」に注目するなかで、同判決が、「らい予防法」制定時における隔離の必要性の判断として述べている、「その時々の医学的知見に基づき、隔離のもたらす人権の制限に配意して、十分に慎重になされるべきである」という見解に対して、「隔離の違法性を阻却する根拠がどこに求められたかが重要な問題とされねばならない」と問題を投げかけている。そして、「患者の意見を聞きこれを尊重して判断すべきであった、そのような判断方法のことが熊本地裁判決には出てこない」と批判し、「?ハンセン病医学の専門家の意見』を聞いてらい予防法を制定したことが、誤りであったとしか考えられない」と言い切っている。
いわゆる「三園長証言」(「癩予防法」の「改正」が国会で論議されていた一九五一年一一月当時、専門家として国会に呼ばれた光田健輔、林芳信、宮崎松記のハンセン病療養所の三園長が、参議院厚生委員会の場で、現行の法律以上に隔離の強制力の強い法律が制定されることが望ましいとする証言を行った。その後、一九五三年に制定された「らい予防法」は、結果的に三園長が望んだとおりの法律となった)がなされたときのことであ るが、私の発想としても、この証言の誤りを指摘しようとはしてきたが、そもそも専門家の意見をもとに判断するということのもつ問題性を問い詰めようとはしなかった。さらに著者は、「継続的で極めて重大な人権の制限を強いられてきた入所者らが政府法案に反対して国会前に来ていたのであるから、それ(引用者注・患者の意見をもとに判断すること)は現実的には難しいことではなかった。しかも入所者の代表らは癩予防法改正案をもっており、それは明らかに政府法案とは異なる内容であった」とダメ押しをしている。このような着眼点にも、本書のスタンスが現れていると受け止めている。
また、本書は、このように、一貫して熊本判決を意識する内容となっている。本年は、「らい予防法」廃止一〇年、熊本判決五年という、ハンセン病問題を考えていくうえで大きな節目の年にあたるが、特にこの五年間の取り組みの基盤を支えてきたのが熊本判決であったことを思うとき、本書の中でなされる、被害の現実に立つところからの厳格な判決等に対する検証は、これからのハンセン病問題に関する取り組みにおいても、一つの方向を示唆するものと思われる。このことも、本書が刊行されたことの持つ大きな意義であると考える。
本書の内容
さて、それでは、本書の内容について少しく紹介していきたい。
本書刊行の目的は、著者の言葉を借りれば、「熊本地裁判決をうけて、あらためてハンセン病隔離政策の歴史を振り返り、これを正確に理解して、その教訓として法学がそこから引き出すべき財産とは何かを解明することである。本研究の刊行により、ハンセン病差別の克服へと一歩でも近づき、また同じような過ちが二度と繰り返されないことを望む」ということになるが、内容を大きく捉えれば、ハンセン病隔離政策の違法性を明らかにするということになる。その作業を、「隔離政策による共通の被害」、「?救癩』イデオロギー」そして「沖縄のハンセン病問題」という三つの要素から行おうとしている。
まず著者は、「共通の被害」ということへのアプローチとして、本書の冒頭において、熊本判決に沖縄の原告の主張が届いていないということに厳しい目を向け、「復帰が基準となるのは理解できない、本土と差別の実態は変わらない、被害は同じである」という訴えを、「共通の被害」とは何かということを明らかにするための、基本的な問いかけとして位置づけている。
ここで、著者が原告の主張などをもとに確認する「共通の被害」という概念は、隔離政策によってもたらされた「累積拡大する?社会内で平穏に生活する権利』の侵害」であり、それが「比類なく深く」「ひとりひとりの全人格、全人生にわたる」被害であると押さえられる。その「共通の被害」というものの実質を著者は、特に集団に対する「差別被害」という言葉で、個別被害とは区別して粘り強く確認していこうとする。
個別被害は各人で様々な人権侵害の形態をとって現れるが、これらを総じて差別行為による被害と捉えさせるものは、「普通の社会」に対して「療養所の社会」が形成され維持されていることに由来し、それは絶対隔離政策そのものによってもたらされるものであり、ハンセン病を遺伝病として恐れて排除してきたことの差別性とは異質なものであると受け止められていく。このことも大変大きな指摘である。
そして、もうひとつ注目しなければならないのが、第二章で展開される「救癩」という考え方についてである。本書においてそれは、沖縄愛楽園の設立と、自らハンセン病患者であり、沖縄のハンセン病患者が安住できる地を求め、差別と闘った青木恵哉へのアプローチから丁寧に考察されているが、ひとつ紹介しておきたいことは、隔離政策のはじまりと「救癩」イデオロギーとの関わりについての検証である。
著者は、ハンセン病隔離政策が救癩運動を通して展開したことへの明確な認識を示しつつ、国賠訴訟において国が「救癩」イデオロギーを法制定の立法の精神として語り、隔離政策を正当化する論理として用いたことを厳しく批判する。また判決に対しても、「『浮浪患者の救済法としての色彩を持つものであった』と述べているなど、被告の主張と同じ性質において、問うべき論点が隠蔽されている」と指摘し、「一九〇七年以来の隔離政策そのものが根本的に誤りであったことを認めることから、ハンセン病患者の人権はよみがえるのである」という言葉で、私たちに根強く残る、「らい予防法」があったから、患者は救われたのだという考え方に明解に答えている。
究極の人権侵害、それは、人権が奪われていく現実に覆いをかぶせてしまおうとすることであると思う。隔離政策は一方で、断種や堕胎、強制労働といった入所者に対する強硬な人権侵害を繰り返し、他方では、「救癩」の名のもとに、その政策の正当性を社会に浸透させ、入所者に対しては、療養所で生きることが救いなのだと説きながら、隔離の受容を植え付けていこうとしたのである。
ハンセン病回復者との出会いのなかから紡ぎだされた本書が、私たちに求めてくることは、ハンセン病隔離政策がハンセン病を患った人たちから何を奪ったのかをあらためて明確にすることであり、「隔離」と「救済」は絶対矛盾であるということを、今一度、一人ひとりが強く認識していくことであると受け止める。
「らい予防法」を救済法と見る見方は、ハンセン病を患った人たちを、永遠に救済の対象という檻に閉じ込める。その檻を破り、当たり前の、普通の人となることを本質的に許さない考え方である。この考え方から脱却することが、今後のハンセン病問題の取り組みの大きなテーマであるといえよう。
本書は、法学の専門書であるが、私にとっては、ハンセン病回復者と出会った一人の法学者が、その責任を果たそうとする営みの書として、そして、私自身のハンセン病問題にとり組む手引き書としても、いつでも手にとれるところにおいておきたい一冊である。
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