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2007.10.4
書 評
 
浅野 宜之

孝忠延夫

『インド憲法とマイノリティ』

(法律文化社、2005年4月、A5判・253頁、5200円+税)

 二〇〇六年一一月、インド西部マハーラーシュトラ州で、大規模な指定カースト(Scheduled Castes: SC。いわゆる不可触民としてカースト外におかれた人々の行政上の分類)による、抗議行動が発生した。これは、SC出身でインド初代の法務大臣であるB.R.アンベードカルの像が破壊されたことに端を発するものであった。また、インド憲法の第九三次改正(二〇〇六年施行)は、教育機関での「後進階層(Backward Classes)」への留保(SCや指定部族[ScheduledTribe: ST]などの、社会的・経済的に後進とされる国民に対し、連邦下院や州下院議員の議席や公務の雇用、高等教育機関への入学などについて、一定の枠を優先的に設ける制度)規定に関するものであった。このように、独立後六〇年を迎えるインドにおいて、社会的に「マイノリティ」とされる人々に関わる問題への対応は、いまだ大きな課題となっている。

 インド憲法では、「マイノリティ」に関わるいくつかの規定が設けられている。インド政府の「国家マイノリティ委員会」が取り扱うのはいわゆる「宗教的マイノリティ」であり、人口の多数を占めるヒンドゥー教徒に対して少数派となるイスラーム教徒やキリスト教徒などがその対象となる。しかし、実際にはそうした宗教的マイノリティのみならず、著者のいう「広義のマイノリティ」、すなわち社会において教育的、経済的地位の面で弱者とされている者もまた、憲法における「マイノリティ」の問題を考える際に、視野に入れる必要がでてくる。ただし、そうすることは同時に「多様性に富む国家形成の可能性を育むとともに、国民的統合を形成・維持していくこととの厳しい緊張関係に立つ」(七二頁)と著者も指摘しているが、いずれにしてもそれは、現代の国民国家というものを実質的に考えていくときに、不可欠となる作業であるといえよう。

 このような前提に立ち、本書は、インド憲法が「マイノリティ」についていかなる形で規定し、またこれに関わっていかなる判例が残されているかを詳細に追いながら、国民統合とマイノリティとの関係について、インドの文脈での捉え方を示すものである。

 まず序章「国民統合とマイノリティ」において、本書の問題関心が提示されている。それは、インド憲法前文にある「我ら、インド人民」という言葉を元に考えられる、国民統合への姿勢とそこに含まれるさまざまな「マイノリティ」の問題とをいくつかの側面から考察しようというものである。このなかではアファーマティヴ・アクションおよび留保措置の問題や「社会活動訴訟(Social ActionLitigation: SAL)」に代表される司法積極主義等の問題を取り上げている(1)。さらに、基本権判決の検討をはじめとして憲法改革の動きのなかでマイノリティの問題も取り上げている。

 つづいて第1章「インド憲法におけるマイノリティ」で、インド憲法制定過程での「マイノリティ」問題の扱われ方の変遷を詳しくたどり、インド憲法における「マイノリティ」の位置づけ、とくにその定義があいまいにされてきた過程を明らかにしたうえで、実際には「マイノリティの権利」として憲法上明記されているものが、裁判所の判決のなかでどのように示されているのかを、とくにインド憲法第二九条および三〇条に焦点を当てつつ論じている。

 第2章「B.R.アンベードカルの憲法構想」では、インド憲法起草委員長で初代法務大臣のアンベードカルについて、彼のインド憲法制定過程における働きと意見に焦点を当てて詳しく論じている。アンベードカルが、「不可触民」とされる人々の権利を保持するためには、分離選挙(指定された選挙区においては、被選挙権のみならず、選挙権も被抑圧集団に限定する方法。選挙権は当該選挙区内のすべての有権者に認められる後述の合同選挙とは異なる)で議員を選出しなければならないと考えていたものの、最終的には合同選挙を受け入れざるを得なくなった経過など、現在の選挙問題と関わる事項について興味深い点が示されている。

 第3章「インド憲法における『基本権』の保障と『国家政策の指導原則』」では、インド憲法第三編に規定されている「基本権」と、第四編の裁判によって救済されないものと位置づけられた「国家政策の指導原則」とについて、憲法の規定の紹介とともに、様々な判決の流れを検討している(2)。当初は「基本権」を補完し、保障するものとしての「国家政策の指導原則」に、徐々にいわゆる「人権」と「発展への権利」をつなぐものとしての「指導原則」という位置づけがみられるようになってきたとの見方を示し、その流れを明らかにしたものとして、一連の「社会活動訴訟」を紹介している。そして、基本権および指導原則の双方で規定されているマイノリティの権利を考察することが、「現代人権論への一つの視座」(一五四頁)を提供するものとしている。

 第4章「インド憲法におけるアファーマティヴ・アクションと留保措置」では、憲法の規定にもとづく初期の最高裁判例を概観したうえで、一九八〇年のいわゆる「マンダル委員会報告(3)」についてふれ、報告書提出以降の最高裁判例の動きについて詳述している。そして、留保措置の位置づけについて学説を引きながら、法学の面からの検討を加えている。その結果、留保の線引きについてカーストを基準に用いることの問題点を提示し、また、「国民間の豊かな関係性」を構築するものとして社会活動訴訟をはじめとする司法府の働きを挙げている。

 インド憲法の特徴の一つを、著者は「アファーマティヴ・アクションと留保措置を憲法上明記したこと」にあるとしている(五頁)。こうした規定について、憲法制定過程および最高裁判決の流れをおさえて、詳しく検討している点に本書の意義がある。留保措置は現代インド社会において重要な問題の一つであるが、憲法の制定過程や判例を視野に入れた紹介により、これまで日本ではあまり取り上げられてこなかった、法学の視点から留保について検討する契機が与えられたことになる。

 さらに本書からは、「国民統合」と「マイノリティの位置づけ」との接合をインド社会の流れを背景に、総合的に検討しようという意識が読み取れるとともに、著者のインド司法への強い期待もまたうかがわれる。たとえば、著者がたびたび取り上げる「社会活動訴訟」について、現在では「公益訴訟(Public Interest Litigation)という用語で記述することが一般的であるにもかかわらず、基本権の侵害に対する救済という側面を表に出したSALという用語を重視することもそのあらわれではないだろうか。

 インドの法、社会、政治、そのいずれもの展望について考えるなかで、マイノリティの問題を外すことはできない。そのための視座を与えるものとして本書は貴重なものであるといえよう。


(1)社会活動訴訟とは、公的には「公益訴訟」(Public Interest Litigation:PIL)といわれる訴訟形態で、権利侵害を受けている当事者以外の者が、書簡による申立てによって訴訟を提起しうるなど、原告適格をはじめとする訴訟の要件が著しく緩和されていることに特徴がある。
(2)インド憲法第四編では、「裁判所によって強制が保障されるものではないが、立法にあたって適用することが国の義務である」とされる原則として、「国家政策の指導原則」を定めている。労働者の権利、SCなどに対する教育上および経済上の利益の促進、生活水準の向上、環境の保護などが挙げられており、日本国憲法の解釈における「プログラム規定」に類似する面があるということができる。
(3)マンダル委員会とは、社会的・教育的後進階層の決定基準確定や、それらの階層に属する国民の発展のためにとるべき措置などが付託された委員会である。同委員会報告では、インド全人口の五二%が「その他の後進諸階層」(Other Backward Classes:OBC)であるとしたうえで、留保措置は全体の五〇%を超えてはならないという法的限界に基づき、OBCに二七%の留保を勧告した。報告書では、カースト序列と社会的・教育的後進性との密接なつながりを認めている。