本書の舞台である金川校区は、福岡県の筑豊旧産炭地・田川市にある。一九五〇年代に石炭から石油へのエ ネルギー政策の転換によって石炭産業は衰退していき、現在では田川市の人口はピーク時の約半数にまで落ち 込んだ。人口流出によって地域のコミュニティは弱体化し、また、こうした地域社会の急激な変化による経済 力の低下は、社会的・経済的に厳しい状態の家庭を増加させることになった。そして、一九八〇年代には、被 差別部落の子どもたちもふくめて暴走族が勢いを増し、厳しい状況におかれた子どもたちが荒れていった。そ うした状況のなか、金川校区は「育ちの共有化」「役割の明確化」「教育の協働化」を柱とし、地域を「教育 コミュニティ」として再構築しようと取り組んできた。
本書では、金川校区関係者が試行錯誤をしながら学校・家庭・地域の関係づくりを進める姿がまとめられて いる。そのなかでも、とくに教職員、そして学校という「場」が大きな役割を果していることが分かる。「教 育コミュニティ論」を提唱する池田寛は、「ともに集う場所」「共通の課題」「力を合わせて取り組む活動」 を基本的要素とする教育コミュニティづくりを通して、新たに人びとのつながりをつくることができると考え た。そして、その中心的役割を果すのが「学校(園)」だとしている。金川校区が取り組む「教育コミュニテ ィ」づくりは、池田の「教育コミュニティ論」の具体的実践事例の一つといえるだろう。本書は三部構成とな っており、第一部では「学力保障の歩み」、第二部では「総合的な学習『わくわくかながワールド』の歩み」 、第三部では「保護者・地域・学校の歩み」について記されている。
第一部「学力保障の歩み」では、学校による授業実践の積み重ねと、学校・家庭・地域による協働の教育活 動が展開されていくさまが丁寧に描かれている。金川校区の学力保障の歩みは、「子どもたちは、誰でもわか りたいと、思っている」というシンプルな視点が原点となっている。一九九三年度からは、ティームティーチ ングによる授業改革に取り組み、低学力の子どもを中心に据えたきめ細やかな支援がなされてきた。しかし、 目標とする学力の向上が数値として表れなかったことから、学力とセルフエスティーム (自尊感情)の相関 に着目し、評価活動や肯定的自己イメージの育成を授業のなかに位置づけていく。教師の主観的な実態把握と 、各種実態調査による客観的な実態把握の両方が、より良い授業をつくるためのデータとして十分に活用され ていることが分かる。
また、子どもたちの学力保障には、学校だけではなく家庭・地域も含めた周りの大人が子どもにどのように 関わるかが重要であることから、学校・家庭・地域が協働で子どもの育ちをサポートしていくために数々の取 り組みがなされている。家庭訪問はもちろんのこと、子育てハンドブック『のびのび金川っ子』の作成、保護 者による「学校・学習応援団」の取り組み、就学前である保育所からの学力の土台づくりなど、教育が「私た ちの」協働活動であるという認識が広まり根づいていく過程が日常的実践に即して描かれている。
第二部「総合学習『わくわくかながワールド』の歩み」では、「総合的な学習の時間」が地域の「ひと・も の・こと」との出会いやふれあいを通して、豊かな人間観・労働観・社会観を育成するための学習として取り 組まれている様子が紹介されている。総合学習「わくわくかながワールド」は、小学校・中学校を通した九年 間の系統的な教育内容として考えられており、その学びは地域関係者が主体的に参画・運営しているイベント 「まつり金川」において発表する機会が設けられている。「まつり金川」では、学校・家庭・地域の総合的な 交流がなされており、協働の教育活動の重要な場の一つになっている。本書には、「わくわくかながワールド 」や「まつり金川」に対する子どもの感想や振り返りの声もいくつか載せられており、子どもたちが体験から 学び、成長している様子を読み取ることができる。
第三部「保護者・地域・学校の歩み」では、「私たちの学校」「私たちの地域」という意識を根づかせるた めの取り組みが紹介されている。金川校区の協働の教育活動は、校舎に書かれた他愛のない落書きからスター トする。落書きを消す作業を生きた教材にするために、全家庭に手伝いをお願いするプリントを配布したので ある。プリント配布後、子どもたちが見守るなか、教師と保護者の手によって落書きは消される。この活動を きっかけに、従来の「連携」ではなく「協働」の関係が成立したと述べられている。池田は、協働の関係づく りには「学校を開く」ことが重要であり、「具体的に『こういうことをする人を求めています』というメッセ ージを地域に発信することである。そして、地域の人の助けを呼び込む『こういうこと』を教職員は積極的に 見つけ出し、つくりだしていくべきだろう」(池田、二〇〇五)と指摘している。
金川では、それまでは教職員が対応していた落書きを消す作業を、ともに取り組む具体的な活動として地域 に提示し、積極的に「学校を開く」ことによって、課題や情報、価値観の共有化を図り、協働の関係を成立さ せていったのである。
また、金川校区では協働の教育活動を通して、親子関係において、そして地域において「あこがれる・あこ がれられる」関係の復権を目指している。金川校区では「あこがれる・あこがれられる」関係の復権は、地域 住民の自尊感情を高め、肯定的自己イメージと地域イメージを育成する可能性を内包していると考えられてい る。人権のまちづくりを見据えた活動であり、教育コミュニティづくりにとって大切な考え方だといえる。
本書には研究大会などでの実践報告レポートが数多く載せられており、その活動内容が詳細に分かるように なっている。また、短い文章ではあるが学校の日常を伝える「コラム」もあり、学校関係者、地域関係者が金 川校区の取り組みをどのようにとらえ、そこから何を学んだかということも知ることができる。
本書は、「あまりにも『分業化』された教育を子どもの育ちを共有化しながら、その成長を人びとのネット ワークで総合化していく道筋が協働の教育活動であるといえるでしょう。それは金川が求めてきた教育コミュ ニティの姿でもあります。個の学力阻害要因を学校・家庭・地域の協働で越えることが、金川の教育改革です 」という言葉で締めくくられている。学校・家庭・地域の関係づくりを「教育コミュニティ」の創造にあると し、さまざまな活動に取り組んでいる金川校区の実践を知ることで、従来の「連携」や「支援」とは異なる「 協働の教育活動」といった姿がイメージしやすくなる。これまで行われてきた学校と地域の間の「連携」や「 支援」は、一時的、部分的な協力や関係づくりに終わってしまっていたように思われる。そうならないために は、学校・家庭・地域が、「協働」の根幹の部分を共有しなければならないだろう。その根幹こそ、「私たち の学校」「私たちの地域」といった認識だと考えられる。そういった意味で、金川校区の実践は、学校関係者 および地域住民の学校観・教育観の変革を目指すものだともいえる。「連携」や「支援」といった関係からな かなか抜け出せない学校・地域関係者には、ぜひ一読して欲しい。そして、子どもたちのために挑戦し、前進 し続ける金川校区の実践が、他の地域において新たな実践へとつながっていくことを期待したい。
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