ずしりと重い、五一九頁におよぶ大著である。そこには、ほかならぬ著者の栗須七郎研究への情熱が込めら れている。
人物研究をテーマにした本の場合、著者の対象とする人物への思い入れや情熱が存在しているのはほぼあた りまえのことだが、これほどまでにそれを読者に強く感じさせる作品は、そう多くはないだろう。それに加え て、この作品をより個性的なものにしているのは、著者も、「栗須の著作類を、初めて解題したという自負」 とともに、「栗須の個人史にとどまらず、同時代の民衆史あるいは民衆思想を描くことを心懸けた」と自ら述 べているように(「まえがき」)九頁)、「人物評伝」と銘打ちながらも栗須個人にとどまらず、民衆史、とりわけ部落民衆史を正確に克明に描き出すという情熱にある。 しかし、部落民衆史は通史的に叙述されてい るわけではない。あくまで栗須個人史との関わりにおいて、あるいは著者が近代部落史において最も重要と見 なしている点に限定して、人物群像、部落史、水平運動史が論じられているという方が正確であろう。
まずは全体の構成を示しておこう。
- まえがき
- 序章 日露戦争と栗須七郎
- 第一章 熊野本宮と紀伊田辺
- 第二章 東京日暮里と「性学長屋」
- 第三章 水平社前史
- 第四章 水平社創立
- 第五章 水平道舎
- 終章 隠された言葉
- あとがき
- 栗須七郎略年譜・著作
本論の叙述は、日露戦争からはじまる。それは、栗須が日露戦争に看護卒として従軍し、彼を終生苦しめる こととなった盲貫弾(貫通しないで体内に留まった弾)を被るとともに、司令官「感状」を受けることとなっ たという、彼の個人史に即しての"一事件"が刻まれていることによるが、のみならず、日露戦争を起点として 『琵琶歌』『破戒』の二つの部落問題を主題とする文学作品が世に問われたこと、そして著者いうところの植 民地支配と民衆の思想統制という目的に見合った部落改善政策が実施されたことも大きな意味をもつ。
以下、章ごとに詳述していくだけの紙幅の余裕はないが、栗須の故郷熊野本宮の被差別部落が一八八九年の 大水害に見舞われ一瞬にして流されてしまったこと、そしてこの水害が、罹災した和歌山県下の人びとを北海 道移住や海外移民へと赴かせる一つの原因になっていることなどが、養子となり、代用教員そして入営へとい たる栗須の歩みとならんで論じられる。さらには、彼に大きな影響を与えた岡田虎二郎・堺利彦らとの出会い 、水平社運動が展開されるなかでの栗須の思想・運動論がやはり各章のなかでの一部分という位置を与えられ つつ詳述される。そして、栗須が全水の中枢と袂を分かってからの、大阪西浜における水平道舎での朝鮮人少 年との共同生活、皮革産業労働者組合のなかでの活動、和歌山で迎えた晩年、と叙述は続く。
当該時期に運動のなかで大勢を占める方針や思想に身を委ねることなく、独自の思想をもち、その点で孤高 の道を歩んだともいえる栗須という人物像が、きわめて正確な書誌解読と執拗なまでの調査にもとづいて描き だされており、著者の描く栗須像はきわめて魅力的である。同時に今ここに明らかになった栗須という人物の 軌跡が、既存の部落解放運動史に投げかける問いは少なくない。
そのなかでとりわけ、著者が移住・移民に相当な紙幅を割いていることは一目瞭然であり、それは、従来の 部落史研究が、被差別部落からの移住・移民に触れることはあっても、それをさほど重視してこなかったこと に対する、著者の痛烈な批判であると私は受け止めた。融和団体などによって被差別部落在住者として把握さ れている数字よりも、はるかに実際の数は多いにちがいない。とすれば、そのことの意味を改めて問わねばな らない。それも島崎藤村が『破戒』のなかで描いたような「理想郷」建設をめざしての移民ではなく、「現金 収入が得られる賃労働」を求めて(一六一頁)のそれであり、そこに向かわざるをえなかった当時の被差別部 落の人びとの現実を理解することなくして部落民衆史はありえないという著者の主張が、そこには込められて いるのだと思う。
もう一つは、著者の、テキストに対する徹底したこだわりである。栗須の著作の原テキストやその改版、警 察資料等を発掘し分析することによって、報復出版という対検閲闘争を展開していたことを明らかにした(終 章、および廣畑「水平の行者 栗須七郎」[『部落解放』二〇〇七年一月])。そうした著者の自ら示す一貫 した資料に向き合う姿勢は、既存のアカデミズムの研究がおざなりにしてきたことへの批判にほかならず、資 料検討がいかに重要な足跡を物語っているかを明らかにしてみせたのであった。
著者は、国家権力と直接に対峙する戦闘的な運動や人物像を高く評価して描いているのでは必ずしもない。 そうではなく、著者は、「支配層の『言葉』」や民衆の実態から乖離した「知識人」の言葉や思想を敏感に読 み取り、それに対抗しうる「言葉」を拾い上げる。著者はいう。栗須自身が民衆の語るべき「言語」の代弁者 であり、それゆえに、栗須が対象に据えられるのである。
冒頭でも述べたように、本書は、表題だけをみると詳細な栗須の評伝であることを期待するが、実際にひも といてみると、紙幅のかなりの部分は栗須以外の叙述に割かれている。栗須という人物の評伝を期待した者に とっては、斜め読みでは栗須の人物像を作り上げにくい、やや難解な作品ということにもなろう。しかしなが ら、「栗須の人生は、波瀾万丈の実在部落民史というだけではなく、近代部落史と水平運動史理解に新たな光 をあてる思想的挑戦史であった」(「まえがき」、一三頁)からこそ、本書もまたそのような叙述の体裁がと られたのである。そのスタイルそれ自体もアカデミズムへの挑戦であると私は思う。
一点だけ疑問を呈しておきたい。本書で日露戦後の地方改良運動のなかで行われた被差別部落に対する施策 を「地方改善事業」と称しているが(一九四頁)、その用語が用いられるのはさらに後であり、この時点では 「部落改善事業」だったのではないか。
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