本書は放送大学のテキストとして発刊されたものであり、異文化間教育学が学問分野として発展してきた経緯、その理論的枠組み、および各種研究課題を初心者向けにわかりやすく紹介している。
評者は人権教育を研究対象とし、もっぱら学校教育や社会教育における人権教育・啓発のあり方やその効果的手法について、これまで書いたり論じたりしてきた。そのベースとなっているのは、1.同和教育、2.国際的な人権教育、3.多文化教育(主にアメリカ)、の理論と実践であるが、評者はこの3つの領域を別々に扱う(個別的アプローチ)だけではなく、むしろそれらに共通する視点や哲学、戦略、方法論を明らかにすること(普遍的アプローチ)を重視してきた。その理由は、「人権問題にはそれぞれ特殊性があり、部落問題と他の人権問題を同じように論じることはできない」「国内の人権問題と国際的な人権問題は性格が違う」「多文化教育と日本の反差別・人権教育は背景や目的が異なる」などとして、個別的アプローチがさまざまな問題や課題をそれぞれ別個に扱おうとする傾向を持ってきたために、相互の間を橋渡しすることで新しい認識や視点が生まれてくる可能性を封じ込めてきた面があったと考えたためである。
そのような試みをすすめるうえで、何か参考にできる既存の学問分野がないだろうかと考えたとき、目にとまったのが異文化間教育学であった。異文化間教育学は1970年代後半に新しい学問分野として日本に登場し、その後大きな進化を遂げてきた。国際化(今日ではグローバリゼーション)が文化間移動を促進したことにより、人間形成に多大な影響を及ぼす新たな環境と力学が文化と文化の「はざま」に多様な形で生まれていったが、異文化間教育学はそのプロセスに着目し、教育学、人類学、心理学、社会学などを統合しながら、学際的研究として発展してきたのである。
1970年代後半、異文化間教育学は海外で生活する日本人の子どもや日本への帰国児童・生徒の研究としてスタートした。その頃、日本経済の国際化にともなって海外在住日本人が急増し、その子どもたちが帰国したときに日本社会への一方的な同化を強制され、「帰国子女」として排除やいじめの対象とされたことから、教育問題として注目されるようになったのである。この摩擦は、日本社会の閉鎖性や同質性志向の強さそのものを批判的にとらえ、日本の人権や民主主義を新たな段階へと高めるきっかけとなりうるものであったが、「海外子女」や「帰国子女」の多くが経済的・社会的・政治的に力をもった階層の子どもたちであったために、人権伸長の視点はある種の制約を受けてしまった。
「異質に見える」あるいは「異質というレッテルを貼り付けられた」マイノリティを社会の周辺に排除しようとする力学は、日本社会において伝統的に強く機能してきたものであり、その犠牲者であるという点で、「海外子女」「帰国子女」は在日や被差別部落の児童・生徒と同じ立場性をもっていたということができるだろう。しかし、日本経済の国際化がさらに進展するなかで、「帰国児童・生徒は国際的な資質や言語力を身に付けた存在であり、むしろその特性を積極的に生かすべきである」とする論調が強まり、帰国児童・生徒に特別入学枠を設けるなどして、積極的に日本の高校や大学に受け入れようとする動きが台頭し、在日や被差別部落の児童・生徒とは明らかに別個の存在として扱われるようになっていったのである。
しかしその後、1980年代には留学生、90年代にはニューカマーの児童・生徒という形で研究対象が多様化するにつれ、異文化間教育学の領域においても、海外の多文化教育に学んだり、カルチュラル・スタディーズなどの批判理論を摂取したり、エスニックマイノリティのエンパワメントにつながる教育学を構築したりしようとする問題意識がしだいに広がっていった。
本書は、異文化間教育学のそのような生成・変化の過程をあとづけ、異文化間教育学研究が直面している今日的な諸問題に関わる理論や実践を体系的にまとめた内容になっている。放送大学のカリキュラムが全15回の講義から成り立っているために、本書は15章で構成されており、各章のタイトルは以下のとおりである。
第一章 国際化と教育
第二章 異文化理解の教育
第三章 日本の異文化間教育とその視点
第四章 異文化体験と教育
第五章 学校における多文化共生
第六章 教育国際交流
第七章 地域における国際化
第八章 多文化共生の教育
第九章 グローバルな教育の取り組み
第十章 異文化間教育とアイデンティティ
第十一章 異文化間コミュニケーション
第十二章 異文化間教育と第二言語
第十三章 異文化間教育と地域ネットワーキング
第十四章 異文化間教育の研究方法
第十五章 異文化間教育の課題
本書は「改訂新版」として2003年に刊行されているが、1998年の初版時の章構成と比較すると、いくつかの特徴が見えてくる。例えば「国際化教育」よりも「異文化間教育」が前面に出ていること、「海外子女」「帰国子女」「外国人留学生」といった対象集団による分類ではなく「異文化体験」「多文化共生」「地域の国際化」といった切り口で課題をとらえていること、異文化間教育の理論や研究方法の解説に重点をおいていること、などである。わずか5年間で、異文化間教育という研究分野の問題意識や理論的枠組みにかなりの変化があったことがうかがえる。
本書に登場する以下のような記述は、反差別の志向性を大切にしながら同和教育から人権教育への発展的再構築を行おうとしている私たちにとっても、大いに示唆を与えてくれるものである。
異文化理解の教育は、一面的な知識をもとに評論するだけの批評家を育成するのではなく、その教育を通して知の枠組みを鍛え直し、自らの文化の枠組みを問い直し、そして自己のあり方や生活を見直すという、いわば実践する主体の育成が課題になる。(34頁)
歴史的・社会的拘束性を帯びたそれぞれの対象や領域の持つ背景を無視するのではなく、普遍の中に個別を取り入れ、また個別の中に普遍的な課題を探るという努力が求められる。これまで、異文化間教育学の研究は、個別の研究にとどまり、それを普遍的な課題として位置づけることが少なかった。複雑な教育の営みをとらえるためにも、学問の「越境化と脱領域化」が必要であり、そのことにより新しい異文化間教育研究の可能性が開けてくる。(43頁)
異文化間教育は、[…]これまでは関係性の分析にとどまり、その組み替えという視点が弱かった。関係性の組み替えには、その関係性に内在する権力関係の分析にまで立ち入る必要があるし、その上で、多文化共生の実現のための教育のあり方を提示していくことも必要である。(44頁)
さらに、1.「ハイブリッドなアイデンティティ」(異文化間接触や文化間移動の増大により、流動的・多層的なアイデンティティを主体的に選び取る人々が増えている)、2.「異文化間トレランス」(自己と他者の間のズレによって生じる葛藤の中に自ら踏み込み、その葛藤による苦痛に耐えながら、あくまで相互理解の可能性を信じて追求し続ける姿勢)、3.「これまでの国民形成に代わる新しい教育」(グローバルな市民社会において民主主義や公共性を実現する主体を育てる教育)など、刺激的な概念や考え方が各所に具体的事例とともに登場する。
このように、本書はあくまでも「異文化間教育学」という学問分野の生成・発展の過程において、独自の学問分野としての守備範囲や理論的・実践的志向性(だれのために、何を目的として、どのような取り組みを、いかに行うのか)を明らかにする必要性が生じたことから体系的にまとめられたテキストなのだが、そこに描き出されている諸問題や問題解決に向けた戦略・アイデアや葛藤、また議論に用いられている理論的枠組みや概念を見ると、人権教育を含む他の教育研究や実践においても、適用可能で参考になるものが数多く存在していることに気づく。
評者は、大阪大学人間科学部の「人権教育学」という授業において、本書をテキストとしてここ数年間使用しているが、確かな手応えと受講生からの肯定的評価を得ている。その体験をもとに、異文化間教育学の理論や実践を参考にしながら、人権教育学の体系を構想することが可能ではないかと考えている。ぜひ本書をご一読いただき、読者の皆さんが個々にもっておられる問題意識にも合致するアイデアや概念を見つけ出していただければ幸いである。
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