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2008.07.15
書 評
 
内田 龍史

福原宏幸 編著

『社会的排除/包摂と社会政策』

〈シリーズ・新しい社会政策の課題と挑戦 第1巻〉

(法律文化社、2007年12月、A5判・269頁、3300円+税)

1 「社会的排除/包摂」論への関心の高まり

本書のタイトルとなっている「社会的排除/包摂」は、現在、社会政策・社会学研究者のあいだで最も注目されている概念のひとつと言ってよいだろう。それは、編者の福原が述べるように、「それが現代の社会問題の現状とその解決をめざす政策とをダイレクトにつなぎ合わせる地点に立つ道標であるからだろう」(11頁)。ほかならぬ評者も、社会的に不利な立場に置かれた若者を対象とした生活史インタビュー調査をすすめるなかで、彼/彼女らが置かれている状況を理解するためには、単なる貧困概念ではとらえきれない、動態的で多次元にわたる「社会的排除」概念は極めて有効であると考えており(部落解放・人権研究所、2005)、本書の執筆者らによる訳書『グローバル化と社会的排除』(バラ/ラペール、2005)を非常に興味深く読んだ者の1人である。

2 本書の目的と構成

「序「社会的排除/包摂」は社会政策のキーワードになりうるか?」から本書の目的と構成を紹介しよう。

「社会的排除/包摂」概念が注目される背景には、グローバリゼーションと産業構造の転換により、特に欧州先進諸国「政府の社会保障政策を補完してきた企業社会と家族はもはやその機能を果たしえなくなってしまった。このような状況のなかで人びとの就労と生活を支える社会保障制度もまた、その機能を十分に果たしえなくなっている」(2頁)ことがある。日本においても雇用保険、年金・医療保険制度、生活保護制度が危機的状況にあるなか、本書の目的は、「社会的排除/包摂をめぐる議論の核心と全体像を明らかにし、日本の貧困と社会問題に対する新たな分析的観点を提示すること」ならびに「日本におけるいくつかの重要な社会的排除問題を取り上げ、これらの問題に対する新たな分析と施策の提案を目指すこと」(6頁)とされている。

これらの目的に対応する形で、第1部は「特に議論が盛んなイギリスとフランスに注目」し、欧州における社会的排除/包摂に関する理論的アプローチの概説・検討が行われている。第2部は「日本における社会的排除の実態を統計的な分析によって明らかにするとともに、社会的排除が深刻化している諸問題を取り上げその実態と政策を明らかにする諸論文」が掲載されている。

第1部 社会的排除/包摂論のパースペクティブ
   第1章 社会的排除/包摂論の現在と展望(福原宏幸)
   第2章 社会理論から見た「排除」(中村健吾)
   第3章 シティズンシップと社会的排除(亀山俊朗)
   第4章 イギリスにおける社会的包摂政策とボランタリー組織の役割(山口浩平)

第2部 日本における社会的排除の現状と課題
   第5章 現代日本の社会的排除の現状(阿部彩)
   第6章 日本における無年金、無保険世帯の実態と課題(吉中季子)
   第7章 ホームレスの人びとに対する居住支援・住居保障(阪東美智子)
   第8章 学校教育における排除と不平等(青木紀)
   第9章 日本における若者問題と社会的排除(樋口明彦)
補論 日本の経済格差と貧困(阿部彩)

3 本書の意義と論点

本書の意義は大きく2つあると思われる。ひとつは、あらたな社会政策を構想するための「社会的排除/包摂」の多次元的(経済的・社会的・文化的・政治的)な見取り図が提示されていること、もうひとつは、日本社会において、深刻化しつつある領域における社会政策の展開と課題を明らかにされていることである。ここで「社会的排除/包摂」概念は、近年生起しているさまざまな(病理)現象に対する多面的理解に有用であるとともに、これまでも存在していた社会問題(無年金・ホームレス・教育における不平等など)の問題解決にも〈使える戦略〉として提示されているように思われる。

しかし、これら各論とも言うべき「狭義の社会的排除」に対する〈使える戦略〉としてのみ着目されてしまうと、グローバリゼーションや産業構造の転換によって近年もたらされている雇用の不安定化・貧困の増大などに代表される「広義の社会的排除」の視点が捨象されてしまうおそれがあるように思われる。加えてヨーロッパでの動向については第3章で詳しく検討されているものの、シティズンシップ概念に対する理解が極めて弱いと思われる日本社会においては、それをめぐる議論の活性化や、包摂されるべき「社会の主流」とは何かを問い返す作業は、喫緊の課題である。

また、政策面に関しても、何らかの施策を構想するために被排除層を特定することには重要な意味があると思われるが、ともすればそれらの施策は「ターゲット型特別対策」(岩田正美)にとどまり、広がりを持ちにくいものになる可能性が高い。さらには政策に対するアカウンタビリティと合意形成の問題も残る。近年の例で言えば、一部の若者を「ニート」と名指すことによって若者政策が進展したことは否めないが、その要因が若者自身(の心がけ)の問題に帰せられ(本田ほか、2005)、さらには正規雇用の若者から「ニート」に対する強烈な批判が垣間見られる(大阪市、2007)など、問題化によるスティグマの付与は不可避であろう。そうした問題は「社会的包摂」に多次元的な指標を用いることで解決されるものなのだろうか?

さらに、「社会的包摂」に向けた実質的な担い手として、イギリスには「社会的排除対策室(Social Exclusion Unit)」のような包括的機関があるが、日本においても、包摂をめざすためにそのような機関の設立が求められるのか、政策的な課題として浮上してくるだろう。

これらの他にも「社会的排除」概念を旗印とした被排除層によるアイデンティティ・ポリティクスの可能性など、さまざまな論点が思い浮かぶが、いずれにせよ、本書は日本の状況に照らし合わせたうえでの「社会的排除/包摂」に関する議論を呼び起こすことになるだろう。

4 社会的包摂としての同和行政?

ところで、部落問題を主たる研究テーマとしている評者の立場から「社会的排除/包摂」論の枠組みから同和対策事業(同和行政)をとらえなおす作業の必要性を提起しておきたい。同和行政は、差別撤廃と人権確立のための総合行政であり、いわば被差別部落住民の「狭義の社会的包摂」の試みであったと思われる。

たとえば、本書が対象としている住宅(7章)・(雇用創出を含む)就労(9章)・福祉(6章)・教育(8章)に関する施策は、いずれも同和行政として行われてきたことであり、かつ、前提としての生活実態把握(5章・補論)も行われていたことは注目に値する。逆に、部落問題研究者から見て本書で示されている「社会的包摂/排除」論に欠けているものがあるとすれば、施策の当事者を中心とした部落解放運動と啓発の視点である。

先述したように、特定の層に対する施策は、新自由主義やレイシズム言説とも関係し、政策的合意は極めて難しいと思われる。特に、当事者による運動や啓発の視点がないところで上述した施策が行われると何が起こるのかは想像に難くない。昨今批判の対象となっている同和行政を跡付ける作業は、被排除層の「社会的包摂」に向けて、問題点の先取りとなる可能性を秘めているのではなかろうか。


文献

  • バラ/ラペール、2005『グローバル化と社会的排除─貧困と社会問題への新しいアプローチ』(福原宏幸・中村健吾監訳)昭和堂。
  • 部落解放・人権研究所、2005『排除される若者たち─フリーターと不平等の再生産』解放出版社。
  • 本田由紀・内藤朝雄・後藤和智、2005『「ニート」って言うな!』光文社新書。
  • 岩田正美、2004「新しい貧困と「社会的排除」への施策」三浦文夫監修『新しい社会福祉の焦点』光生館。
  • 大阪市、2007『若年者の雇用実態に関する調査報告書』。