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2008.07.15
書 評
 
藪田 貫

のびしょうじ

『被差別民たちの大阪―近世前期編』

(解放出版社、2007年6月、A5判・254頁、2500円+税)

1

「大阪に観光に来ればいやでも目につく」大阪城と高層ビル群を写し取ったカバーに、タイトル「被差別民たちの大阪」が据えられている。

「はしがき」に記されているように、本書は、「大阪の部落史委員会の手になる編纂事業」が母胎となっている。その第1巻の完成(2005年)を受け、「大阪部落史の史料的基礎が充実したのではないか」という実感に支えられ、「通史的展望を試みる」ために書き下ろされたものである。

「はしがき」にはさらに、1980年代以降、現在の部落に系譜的につながる集落に対する研究と、「被差別民と呼ばれた個々の集団・仲間」を対象にする研究」との分化があり、大阪の部落史委員会も、後者の流れを意識し、「続々と新史料を渉猟することが出来た」と誇らしげに書かれている。その結果、「近世大阪史のなかに皮田ならびに被差別民史を有機的に組み込む」ことが可能となった。

そんな実感を得た著者にとって、本書の執筆は、抑えがたい欲求であったと推測される。

また「はしがき」には、「(『大阪の部落史』の成果を)部落史や近世大阪史に関心をもつ多くの人たちに伝え、理解してもらうためには史料のまま差し出すのでなく、特別な仕掛けを必要とする」とも記されている。

「特別な仕掛け」は、『大阪の部落史』第1巻(以下『部落史』)と本書の目次を、それぞれ比べると容易に了解される。「序編 近世被差別民の概況」「第1編 近世社会の成立と被差別民」として「1 土地支配と被差別民」以下の9項目を並べた『部落史』に対し、本書は「第1話 戦国期和泉国の被差別民」以下の15話が配置される。

比較してみて本書が、『大阪の部落史』のガイド役を買って出るとともに、より鮮明に、その意図と成果を訴えるために書かれたものであることがわかる。

2

その意味で、文句なく、本書は労作である。しかも、抑えがたい情熱をもって書かれた労作であるということができる。しかしながら一読(といっても悪戦苦闘しながらの読了)してまずの感想は、「むつかしい」。

それには評者が、「部落史」の研究状況の詳細に通じていないという個別事情があるが、同時に、「近世大阪史に関心をもつ」者として考えた場合でも、「むつかしさ」は消えない。

たとえばつぎの一文。「部落史では、一時の台風であれ重大な問題であり、実際にスケープゴートの出たことは知られていた。それにしてもエピソード以上の位置づけを与えられていたわけではなかった」(180頁)。

『部落史』のなかでも、格段の成果とされる「生類憐み令」期の豊富な史料に関して設けられた第12話の一文で、「彦根藩がらみで皮田が極刑に処せられた事件である」として詳細な経過が続くが、同書に掲載された史料67には、萩庄村丹波谷での捨て牛、捨てた博労備前の仁兵衛の獄門処分が書かれ、近江皮田与十郎の名前は出てこない。「萩庄村から始まった一件」(191頁)とあるように、摂津と近江の事例は関連しているが、横田論文や小西論文などを知らないかぎり、その連関は分からない。明らかに記述は、『部落史』史料解説の域を大幅に超えている。

『部落史』に掲載の和泉国豊田村非人番史料七点を使って、「非人番初見史料と年紀の前倒し」の訂正を行なった第九話(145頁)とは、およそスタイルが違う。どこまでが掲載史料の解説で、どこからが不掲載史料に基づく分析かが明示されるべきであろう。本書を読みながら、『部落史』を抱えて、ウロウロしたことを白状しておく。

「むつかしい」と感じた箇所をもうひとつあげるとすれば、「論証の前提が成り立つためには「将軍の跡継ぎを生んだのだから、その母親の実家は将軍を出す家柄である」と言えなければならない」(111頁)。第7話の1節で、塚田孝への批判の部分だが、付けられた注では「奉行所史観はそんなにも粘着性が強いものかと考えてしまう」とある。塚田の『都市大坂と非人』(2001)を繰り、孫七系図の箇所を読んだが、それへの批判から、将軍云々に飛躍する文脈が理解できなかった。あえて「批判」にこだわろうとする著者の姿勢を高く評価したいが、読者のためには丁寧な批判が必要だと思う。

3

そのように注文するのは、本書が「部落史と近世大阪史に関心をもつ人たち」に「研究の現段階」を示したいという、高い目標を持っているからである。詳細を述べる余裕がないが、全15話を貫いて本書には、「多様な被差別民」に関する新史料という軸と、80年代以降の研究史の総括という軸が、据えられている。

その結果、難しさを伴いつつも、本書を読み応えのあるものにしている。

印象的であったのは、和泉国「嶋」村や河内更池かわた村の存立景観や旦那場を、売券や絵図などから明らかにした13話。ついで著者の当初の予想を超えて68話に展開した四ケ所非人の項や、斃牛馬と皮田に関する多くの史料をもとに部落史の観点から「生類憐み令」を論じた12話なども、印象深い。

とくに四ケ所非人の中核に転びキリシタンがおり、それがまた「吉利支丹ころびの乞食」を刈り込むことで、四ケ所の重層的な仲間構造が出来ていく様子は注目される。幕政上の重要法令「生類憐み令」が部落史研究に位置づけられてこなかったとは著者の指摘するところだが、同様に、キリシタン禁制にも部落史は緊密に関わってきたとはいえない。「きりしたん程日本をなやまし候もの又と無之」とは熊本藩主細川忠利の言であるが、あらためて近世前期におけるキリシタン禁制の実態が究明される必要があるだろう。

また苛烈なキリシタン禁制は、飢饉と相まって人々の都市への移動・集中を高めたが、このことは「近世大阪史」の舞台をアッという間に紀州や京都、畿内に広げる。

著者は「大坂」を三郷市中、「大阪」を大阪府域としているが、垣外集団の場合、大坂四ケ所、堺四ケ所、尼崎・西宮・兵庫の垣外集団、そして平野郷の垣外のように、地域単位に状況が異なった(第9話)。著者が「被差別民とは特定地域における地域的存在」(154頁)という所以である。

ここでいう「地域的存在」を決定するものはなにか? 著者は注意深く、幕府の直轄都市大坂、中世後期に起源をもつ在郷町、郷庄的枠組みの村々、藩領域などを、その枠組みとして考慮するが、ここにきて被差別民史は、畿内における支配の具体性と切り結ぶようになった。『近世大坂地域の史的研究』(2005年)を書いて、「近世大阪史」に参入した評者との交差が生まれる可能性がある。残念ながら拙著は後期に主眼があり、天正から元禄期の前期に主題を持つ本書と時期的にズレている。

本書では、被差別民の形成史を同時に仲間形成史として読むことができる―たとえば「郷村の葬送要請が定住化を促し、和泉一国規模で仲間が広域で定住化していた」(第5話)―が、それが各レベルの支配の具体像の中で検討されるようになったのは、大きな前進であろう。

同時に斃牛馬の埋捨てが、「生類憐み令」を契機に和泉で広がったことを捉えて著者は、「どうしてその習慣が和泉地方で広がったのか。それこそ在地の事情と背景の解明が求められる」(191頁)と書いている。「幕府の法令を始点だとすれば、地域はその受け皿でしかないが、地域を始点だと考えれば、地域は法令を生み出す場となっている」とした拙著と同種の発想が、本書にはある。

「1980年頃の部落史研究では、被差別部落自体を権力的一方的に作ることが信じられていた」(第14話)との一節には驚くが、被差別民をみる視点が大転換していることを納得させる本でもある。