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2008.10.10
書 評
 
水野 有香

 バブル経済の崩壊以降、経済と企業業績の低迷が長引くなかで、日本の労働市場は大きく変貌した。現象(問題)が可視的になり始めた2000年頃から「格差」、「貧困」に対する関心が高まっている。特に「所得」を切り口として貧困をとらえた場合、働く貧困層であるワーキング・プアは、「新しい種類の貧困」として社会問題化している。

 欧米諸国では、1980年代からの国際的な経済・雇用情勢の悪化により、とりわけ失業保険や公的扶助あるいは障がい者福祉などの分野に対する社会保障予算の制約を強めた。その結果、社会保障・福祉の分野では「ワークフェア政策」に注目が集まり、現在それが進められてきている。日本においても同様の状況が1990年代からみられるようになり、近年、社会保障・福祉政策において「自立支援」の方向性が打ち出されている。具体的には、シングル・マザー(母子家族・母子世帯)に対する児童扶養手当の削減、生活保護における母子加算の廃止や自立支援プログラムの導入、ホームレス自立支援法、障害者自立支援法等の制定などである。これまで福祉の対象となっていた稼動年齢層の人々に対して、日本においても「就労による自立」を要請する傾向、すなわち「ワークフェア」的傾向が強まっている。

 本書は、雇用志向社会政策である「ワークフェア」をキーワードとし、これが社会的包摂の有効な手段となりうるかを理論・実証・政策の観点から検証している。前半の第Ⅰ部では主として英米を中心にワークフェアの国際動向を探り、その特徴や波及効果、帰結について理論的整理を行っている。イギリスの若年就労支援政策の分析からは、「劣等生(就労支援対象者)」の視点に立った政策の必要性(第二章)、イギリスの所得保障の分析からは、ブレア政権下で行われ、ひとり親やワーキング・プアへの所得保障の充実が図られている「負の所得税型の税額控除」制度の有効性(第三章)、ア メリカのT A N F(Temporary Assistance for Needy Families :貧困家庭一時扶助)離脱者の分析からは、ワーキング・プアと変わらない「脆弱で不安定な存在」であり続ける、就労する福祉離脱者の実態(第四章)が明らかにされている。これらの英米の政策的経験を、国ごとの労働市場、雇用政策、政治風土などの違いを考慮したうえで、日本の社会保障・福祉政策にどれだけ活かせるかが今後の焦点となる。

 また、ワークフェアの議論が深まるなかで、ILOが提起する「ディーセントワーク(decent work)」論への留意も必要となっている(第一章)。2000年頃から日本でワーキング・プアに注目が集まったのは、自己責任だけでは片づけられない構造的問題をそこにみたからであろう。「まっとうな仕事」すなわちディーセントワークから遠ざけられた彼/彼女らの実態(悲痛な叫び)は、労働の質の重要性を語っている。

 後半の第Ⅱ部では、日本におけるワークフェアの動きが、シングル・マザー、障がい者、生活保護受給者などの「脆弱層(vulnerable group)」に対する政策にどのように反映され、どのような問題を生んでいるのかを検討している。また、一部の自治体で行われている創意工夫に富む取り組み事例が紹介・検討されている。就労を通した自立支援の動きが強まるなか、ワークフェア的政策が一貫して続いてきたシングル・マザーについては、いまや自助努力は限界であり、これまでウェルフェア(福祉)そのものが整備されてこなかった現況を踏まえるべきであること(第六章)、障がい者については、「働きたくても働けない」労働市場から排除された障がい者が存在し、就労に限らない多様な社会参加のあり方が必要であることがそれぞれ論じられている(第七章)。また、生活保護受給者に対する自立支援プログラムにおいて、各人が抱える問題の解決をはかり、ゆるやかに就労につなげてゆこうとする地方自治体の先進的な事例をとりあげている(第八章)。それは、「福祉から就労へ」ではなく、「就労のための福祉」と「福祉を受けつつ就労する」システムの実践である。同様に、第九章では大阪府と府内市町村によって推進されてきた、就労困難層をトータルに支援する仕組みである地域就労支援事業を検討している。これもまた、「就労のための福祉」であり、国のワークフェア政策とは方法の異なる「もうひとつのワークフェア政策」であると位置づけている。

 最後に本書の有益性を考えてみたい。

 各論考の興味深さもさることながら、本書のテーマを共通のキータームで包摂することにより、事象を多様な観点から論じる一方で、新しい概念であるがゆえにしばしば生じがちな、論者ごとのキータームの用法・定義の違いがみられず、このテーマを理解しやすいものにしている。

 具体的には、まず本書のタイトルでありキータームとなっている「ワークフェア」を、「何らかの方法を通して各種社会保障・福祉給付(失業給付や公的扶助、あるいは障害給付、老齢給付、ひとり親手当など)を受ける人々の労働・社会参加を促進しようとする一連の政策」(本書18頁)と広義にとらえることにより、英米のワークフェア政策の現状分析から、日本における諸対象者(シングル・マザー、障がい者、生活保護受給者等)に対するワークフェア的政策まで包括的に論じることが可能となっている。

 また、もうひとつのキータームである「ワーキング・プア」についても、それ自体は「その世帯の一人あるいは複数がフルタイムで働いているか、あるいは、働く準備があるにもかかわらず、最低限度の生活水準を保てない収入の世帯」(本書5頁)を意味するが、本書では労働能力のある公的扶助非受給層(狭義のワーキング・プア)のみならず、公的扶助を受給しつつ就業している層や公的貧困線の少し上に位置するボーダーライン層も含めて広くとらえている。そして、ワーキング・プアの文脈でワークフェアをとらえることにより、より包括的かつ有効な処方箋の提示が可能となることを示していることに本書の意義がある。すなわち、これら三つの層はいわば「陸続き」であり、状況が変わればこれらの間で移動する可能性が高い。そのため、労働能力のある公的扶助受給層に就労支援を行っても、現状では労働能力のある公的扶助非受給者(狭義のワーキング・プア)もしくはボーダーライン層にとどまる可能性が高い。したがって、有効性のあるワークフェア政策を考えるためには、それらの層の現状分析に加え、ワーキング・プアとも重なりのある非正規(非典型)労働(第五章)やその背後にある「労働法のない世界」(第十章)についても視野に入れつつ、労働の性質についても併せて議論することが必要となる。

 本書を通読すれば、現在の日本が抱えるこれら問題の解決を図るための施策について、その方向性が自ずと明らかとなる。本書をベースに、諸対象者の視点からワークフェアをとらえるとともに、「社会的包摂」の観点から学際的にワークフェアをとらえなおすことにより、ワーキング・プア問題の解決のための研究がさらに活発化することを期待したい。