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2010.01.29
書 評
 
太田晴雄 

志水宏吉 編著

(明石書店、二〇〇八年七月、A5判・三二四頁、二五〇〇円+税)

 今日の日本社会において高校に進学するのはごく当り前の人生の通過点となっている。ところが、ニューカマー(本書によると「最近日本に住むようになった外国人・外国籍の人々」を意味するだけでなく、「外国にルーツをもつ」日本国籍保有者もこのカテゴリーに含まれる)の子どもたちにとって、それは飛び越えるのがきわめて困難な教育上のハードルのような意味をなしている。かれらの高校進学率は全国的には特定されていないが、五〇%程度と推測されており、「四〇年以上前の日本の教育水準しか享受していない」現状にあるといわれている。

 本書はこうしたニューカマーの子どもたちの高校進学、およびそれ以後の進路形成を主なテーマとして、大阪府の事例を中心に編まれている。4部章によって構成され、一九名の執筆者による共著であるが、各章は、「ニューカマー教育にたずさわる人々が何をどのように実践しようとしているのか、そして府内の高校に通う外国人生徒たちが何を思い、何をなそうとしているのか」を「わかりやすく伝える」という編集方針をよく反映して簡明に要領よくまとめられ、本書全体としては、大変インフォーマティブな内容で大阪府の高校におけるニューカマー教育の実態を鮮明に描きだしている。

 大阪府のニューカマー生徒の高校進学率(定時制を含む)は八四・五%で、これは他の地域―とくにニューカマー児童生徒数が大阪府よりも多い都県―に比べてきわめて高い水準にある。また、文部科学省が毎年実施している調査においても、高校生の占める割合は他と比べて突出して高くなっている。それはなぜなのか。誰の目にも明らかなのは、高校入試における「特別枠」の存在である。これは、府立高校五校において、定員の五%をニューカマー生徒に割り当てるという日本版「アファーマティブ・アクション」である。たしかに、このような「先進的な入試制度」が当該生徒の高校進学のハードルを低くしていることは疑いないことであるが、特別枠が設けられるはるか以前の一九九〇年代初めにおいてさえ、大阪府のニューカマー高校生は二〇〇人を優に超えていたこともまた事実である。では、当該生徒の高校進学をこれほどまでに可能にしたのは何なのか。この謎解きこそ本書のハイライトである。

 本書では、大阪府におけるニューカマー教育の取り組みが、従来から取り組まれてきた、「社会的に不利な背景を持つ子どもたち」に対する教育的支援の蓄積と成果のうえに展開されていることが明らかにされている。同和地区や障がいをもつ子どもたち、そして在日朝鮮人の子どもたちを対象に、「しんどい子どもを中心とした集団づくり・学力保障・進路保障」を目指す教育実践が過去数十年の長きにわたって積み重ねられてきた。そして、このような「弱者にやさしい」大阪の教育を担ってきたのは子どもたちのまわりにいた教員たちにほかならない。

上述の特別枠をもつ高校には、それが設置される以前からニューカマー生徒(おもに中国帰国生徒)の受け入れや教育支援に積極的に関わってきた教員集団の存在があった。特別枠の設置はこうした教員や教員のネットワークによる取り組みの実績から生み出された成果と捉えることができる。

 特別枠をもつ高校では、日本語教育のサポートだけではなく、生徒の母語の学習が正規の授業科目として位置づけられ、母語話者である外国人教員(「正規」教員を含む)がこれらの授業を担当し、また、アイデンティティ確立のための居場所や交流の場が校内に設けられているなど、文化的多様性を基調とした教育実践が展開されている。こうした教育実践は、高校における朝鮮語をはじめとした「外国語科目」の設置や、民族的なアイデンティティ形成の場としての「朝鮮文化研究会」などの設立や「民族講師」の採用など、在日朝鮮人生徒教育にその原型を求めることができる。

 最後に、ニューカマー教育研究における本書のもつ意味について言及しておきたい。

 まず、高校におけるニューカマー教育という新たな研究領域を切り拓いたことである。ニューカマーの子どもの教育をめぐる研究はこれまで小・中学校段階に留まってきたが、本書を皮切りに高校での研究の進展が期待できるであろう。

 次に、従来のニューカマー教育研究は、子どもたちが日本の学校においてディス・エンパワーされている実態やその要因の解明に焦点化される傾向にあったが、本書では子どもたちをエンパワーする教育実践や教育支援、およびそのシステムなどが明らかにされている。ニューカマー教育における「失敗研究」から「成功研究」へのパラダイム転換がなされているといえば過言であろうか。

 いまひとつの点は、同和教育や在日朝鮮人教育、あるいは障がい者教育との関連性をニューカマー教育に見出していることである。すなわち、「社会的に不利な背景を持つ子どもたち」の教育という文脈において、ニューカマー教育が検討されている。本書では、このような子どもたちをめぐる教育を考察するための理論的枠組みについては言及されていないが、「文化的および社会経済的に不利益を被ってきた少数者集団の子どもに対して、学力や社会的成功をもたらすための実質的に平等な機会を提供する教育」を多文化教育(多文化共生教育ではない!)と捉えている評者には、本書は多文化教育を考えるための格好の書と思われる。