本書は、近年盛んになりつつある学校における法教育を、「主権者教育」の立場から批判的に吟味し、「立憲主義に立つ日本国憲法に基づく」法教育への具体的な提言を行うものである。
学校における法教育は、一九九〇年代のはじめに江口勇治(筑波大学)や橋本康弘(福井大学)ら社会科教育研究者によって主に米国の法教育カリキュラムの分析・紹介という形で研究が開始された。その後、彼らは弁護士をはじめとする法曹関係者の協力を得ながら、法教育運動を展開し、法務省内に設置された法教育研究会の報告書を二〇〇四年にまとめることで、現在の法教育の主流を形成することとなった。同報告書で法教育は、「法律家でない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身につけるための教育」と定義され、「法律の条文や制度を覚える知識型の教育ではなく、法やルールの背景にある価値観や司法制度の機能、意義を考える思考型の教育である」とされている。
本書は、そのような主流派の法教育の問題点を原理・内容・方法の各側面から、わかりやすく論じる前半部と、国民主権・基本的人権の尊重・権力分立を採用し、真正の立憲主義憲法といわれる「日本国憲法」を中核とした法教育を提案する後半部から構成されている。
前半部となる「はじめに」から「3」では、前述した法教育研究会の報告書の市販本である『はじめての法教育』で提案されている法教育の授業プランを主な分析対象として、その問題点を論じている。
まず「はじめに」において、法教育は、「そのやりかたしだいでは、『ルールは守るべき』という『規範教育』としての法教育、道徳教育の一環としての法教育になりかねない」という。そして、「『主権者教育』としての法教育こそ」が重要であり、「それは、憲法の理念を実現できるための力を育てる教育である」と、本書の主題を提示する。
「1」では、法教育の原理的な問題が検討されている。現在の法教育は、憲法を軽視し、「憲法の名宛人は国家であり、憲法はわたしたちの人権を守るために国家を規制、縛るものである」という立憲主義の正しい理解を子どもたちに促していないと主張する。そして、「法が『なぜ必要なのか』、『正当な内容なのか』ということを学ぶことが、民主的な平和国家の形成者としての主権者に必要な法教育である」と論じる。
「2」では、法教育の内容の問題が整理されている。『はじめての法教育』をはじめ多くの教材が「ルールづくり」を取りあげている現状に対して、<1>ルール遵守を強調する教材が多く、<2>学習のなかで解決がめざされる紛争の状況設定が非現実であり、<3>「悪い人」も含めて紛争を解決していく現実社会の問題解決の「手続き」が軽視されていると分析する。
続く「3」では、多くの法教材で採用される模擬裁判を取り上げ、法教育の方法論の問題が検討される。ここでは、<1>模擬裁判における「シナリオ」がもつ危うさ、<2>ロールプレイがもつ有効性と虚構性、<3>「私」という当事者の担保、<4>教員の役割、という四つ視点から法教育の方法上の問題が議論される。
後半部となる「4」から「6」では、前半部における現在の法教育に潜む問題点の分析を踏まえて、主に中学校社会の公民的分野を中心とした法教育への提言を行なっている。
まず「4」では、現行の社会科の教科書の記述を分析し、「国家権力を統制する機能を憲法がもっているという立憲主義の概念」の説明が弱いことを指摘し、「歴史的に国家は権力を濫用してきたことを学び、立憲主義の学習をすすめていく展開がのぞまれる」としている。
「5」では、これまでの議論を踏まえ「法教育は憲法教育であると言っても過言ではない」とし、その範は、「一九四七年八月に文部省(当時)が中学校一年生向け社会科の教科書として発行し、一九五三まで使用されていた『あたらしい憲法のはなし』にある」としている。
「6」では、憲法的な価値を学ぶために、司法についての学習が大きな役割を果たすとする。そして、「黙秘権の保障」や「無罪推定」の原則をとる日本国憲法下の刑事裁判の目的は、「無罪の発見」であり、「デュープロセス保障である」とし、冤罪事件を教材とする授業や、法廷傍聴をする授業を提案している。
「終-法教育を実践するための提言-」では、<1>「法教育」は「規範教育」であってはいけない、<2>法教育は立憲主義の理解から、<3>ルールと法は違う、<4>「悪」を切り捨てない、<5>当事者性を確保する、<6>「法の支配」と「法治主義」を混同してはならない、<7>歴史性のなかで法の意義を考える、<8>刑事司法の実際を知ろう。
という八つの提案がまとめられている。
以上のように本書は、法教育運動が、<1>従来の社会科における知識中心の憲法学習との違いを鮮明にしようとした結果、憲法学習を軽視する形になったことや、<2>法教育は思考教育であり、社会科だけではなく他教科、道徳、特別活動などでも実施可能であるとした結果、規範教育的性格を強く帯びたことへの本格的な反論を展開している。
しかし、本書のあとがきにも言及されているように、現在の法教育を否定するための主張ではなく、憲法学習の重要性を再評価し、法教育としてそれをどう位置づけ直すかが本書のテーマである。特に、学校現場において法教育を実践しようとする教員には、『はじめての法教育』とともに必読の書であるといえよう。