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2010.01.29
書 評
 
平尾 和

布施哲也 著

官製ワーキングプア 自治体の非正規雇用と民間委託

(七つ森書館、二〇〇八年六月、A5判・二三九頁、一七〇〇円+税)

 働いているのに貧困、そんな理不尽な状況が、自治体行政の職場で拡大している。この本は、わが国が患っているこの「官製ワーキングプア」という症状に対する著者の「診立て」と、最終章の「処方箋」によって構成される。

 第1章は、パート保母や音楽の講師など、様々な行政の職場の嘱託職員・臨時職員たちのインタビューだが、あまりの低賃金、ボーナスのない仕事、いつ退職通告があるかわからない不安など、この症状によって患部が発する通苦が紹介される。ある市の外郭団体であるコミュニティ公社が管理運営していた施設では、指定管理者制度の導入により公社からシルバー人材センターに業務が丸投げされ、その結果、働き続けることができなくなった臨時職員のケースや、こうした労働条件を改善しようにも、同じ職場で働く仲間の間に広がる無気力、市から出向してきた当事者能力のない現場の責任者たちの対応に、交渉している自分が惨めになった話等々、著者は、「やりきれない」という言葉を連発しつつ現場に分け入っていく。

 第2章の「自治体発ワーキングプア」は、自治体で働く労働者の四割が非正規労働、国関係の職場も加えると二〇〇万人という実態が生まれていること、この理不尽に対して異議申し立てをしても、先述の現状や地方公務員法の壁があることを、裁判所の判決なども交えて明らかにしていく。そして、この「官製」という問題構造が、実は、江戸時代の「お上と庶民」、つまり、わが国の「官」と「民」の関係にルーツをみる。経済には庶民も関心を持ってきたが、政治制度は「お上のやることだから」と「お上=官」に勝手にさせてきた結果、官主導の政治経済制度になってしまった、という診立てである。この国が患っている症状の根深さと、この症状に向き合うためには、相当に腰を据えていくことが必要だというメッセージが伝わってくる。

 第3章では、「学校は職種と雇用の見本市」など、現場の教頭が覚えきれないほど多様な職種の嘱託職員・臨時職員が存在する実態や、いずれの職種にも共通する低賃金と不安定な処遇実態が紹介される。さらにこの非正規雇用は各自治体が競うように仕事を増やしてきた結果だが、広域行政やつぎはぎだらけの任用制度のため簡単にはチェックできなくなっていること、また「三位一体の改革」によって加速する財政危機のもと、チェック役の議会も「正規職員を減らせ」とこの流れを進めていること、同時に、こうした職種の拡大が、自治体に対する住民の様々な生活ニーズに応えてきた結果など、この閉塞状況の社会的関係が浮き彫りにされる。他の章で語られる「平成の大合併」のため町名が消えた西多摩の五日市町において、「五日市憲法草案」という明治憲法制定以前の民権運動の歴史が消えていくことへの懸念も含め、警告は私たちにも向けられていく。

 第4章「民間委託は誰のためか」では、従来、自治体の仕事を民間企業に委ねる場合、公共サービスや守秘義務の観点から、給食委託などに限られていた。しかし二〇〇三年の地方自治法改正によって生まれた指定管理者制度や、「民間資金の活用を」と、国の仕事も狙ったPFI制度が導入され、民間企業がごみ収集や保育所、図書館ばかりか刑務所までにも参入してきた。業務請負や受託した企業とか各種法人の間で、再委託が繰り返されるごとに、雇用される労働者の収入が目減りしていく、まさに「自治体発ワーキングプア」の構造が明らかにされる。

こうした文脈で指定管理者となったNPO法人などが好むと好まざるとにかかわらず外郭団体化していく描写には、筆者も日ごろ危惧していた点であり、気持ちを引き締めさせられる。

 第5章「処方箋をさがす」は、地方公務員法や労働契約法などが絡み合い一筋縄では解きほぐせない状況に対して、この問題を社会に顕在化させ、社会を動かしていくイデオロギーを超えて連帯する「しなやかな」運動の必要性が強調される。そして、尼崎市の住民票入力業務を行う企業から派遣された労働者や国立情報研究所の非常勤職員たちの闘いが、自治体の対応や地方裁判所の法解釈を動かしつつある事例が示される。そこから、こうした労働者を支える関係職場や地域の労働団体といったシンプルな運動、加えて自治体で雇用される非正規職員にも、その自治体の仕事を受託する業者に雇用される労働者にも適用される地域最低賃金的な制度と、それを担保する「自治体公契約条例」の制定という硬軟織り交ぜた目標が提起される。

 「処方箋」には、この国が近代から現代にかけて体質化させてきた社会のあり方への反省をも込められているように思える。戦後の様々な社会運動が、福祉や教育など生活要求は、政治領域では国地方をつうじた政党政治のコースに、また経済領域では、賃金や労働条件の要求が、本工中心的な企業別労働運動に収斂されるコースと二極に分化してきた。それらを、地域の自治の現場からリンクさせていく運動によって、再編していくという社会の体質改善のための「処方箋」なのである。