1 本書の意義
差別問題に関する書物は、大別すると次の二つに分類できる。ひとつはジャーナリスティックな視点から社会問題としての差別を取り上げ、その実態を記述するものであり、もうひとつは、学問的な観点から差別の分析を行うという、いわゆる研究書である。今回取り上げる『差別禁止法の新展開─ダイヴァーシティの実現を目指して』は、成蹊大学アジア太平洋研究センターに設けられた研究プロジェクト「差別禁止法の新展開─日米比較研究を中心に」の三年間にわたる活動の成果をまとめたものであり、右にあげた二分類の中では、後者の研究書に入る。
差別問題を扱う研究書は、①社会学(社会心理学を含む)的な視点からのもの、②歴史学的な視点からのもの、③法学的な視点からのもの、という三種類が多数を占めるが、このうち①や②に比べて、本書のように法学的な視点から差別問題を分析した研究書は相対的に少ない。また、法学的な視点からのものであっても、その分析対象を女性差別や障害者差別といった特定の主体に限定したり、あるいは就労差別などの特定分野に特化しているものが多く、本書のように差別禁止法一般を主題に掲げた研究書は希である。
このような意味において、本書は差別問題を扱う研究書として、野心的かつ先駆的な試みであるといえる。
2 本書の概要
本書には、以下の五部構成に括られた、一七編の論文が収められている。
まず、第一部「序論」で本書の問題意識と全体の概要が説明され、続く第二部「総論」において、差別はなぜ法的に禁止されるべきなのかという原理論的な問題に始まり、差別の原因や解決策に関する経済学・心理学・哲学からの分析が提示される。それと並んで、アメリカにおける差別禁止立法の経緯と内容が紹介され、また人事管理の観点から見た差別の問題点と解消方法が示される。
第三部「各論─日米比較を中心に」では、年齢差別、障害者差別、性的指向に基づく差別、「見た目」に基づく差別、雇用における男女差別、社会保障における男女差別という六つの個別的テーマが取り上げられ、それぞれについて日米における法令や判例の比較が行われ、日本の差別禁止法の問題点が指摘される。
第四部「企業の現場から」では、ベネッセ・コーポレーション、資生堂、横河電機という三つの企業における差別是正に向けた取り組みが、前二社では職場における男女平等をテーマに、横河電機では障害者雇用をテーマに、各々の企業の担当者によって説明される。
こうした多角的な分析から得られた知見をもとに、第五部「終論─新展開の方向性」において、差別禁止法の制定・運用における今後の課題とあるべき姿が示され、本書のまとめとされる。
3 本書の特色
先に述べたとおり、本書は差別禁止法を一般的に取り上げている点に第一の特色があるが、それ以外にも、次の諸点に独自性を見ることができる。
第一は、差別に関する学際的なアプローチ手法である。差別禁止法に関する研究書は、法律学者や弁護士によって著されることが多いため、その方法論も法解釈論や判例研究、ないしは法制度論に偏りがちであり、そもそも差別とは何か、なぜ禁止されるべきなのかといった原理的な問いかけは割愛される傾向にある。
そのため、時として、差別は法的に禁止されるべき社会的害悪であるという所与の前提の下に議論が進められ、結果的に、より広範で強力な規制が必要との結論に至ることが少なくない。しかし、たとえそれが差別に対する規制であっても、行き過ぎがあれば自由に対する不当な束縛になるおそれがあり、無限定な法的規制の拡大は、かえって国家権力による人権侵害を引き起こしかねない。したがって、差別に対する規制を論じる場合には、問題となっている差別事象の実態や原因を追究し、法がどのような役割を、どの程度担うべきなのかを考えることが欠かせない。
この点、本書では、差別について法学的視点のみならず、経済学、心理学、哲学などからの考察がなされ、差別の本質と法の役割に関して多角的な分析がなされている。このような研究手法は、今後の差別禁止法研究に対して、ひとつの範型を示すものと評価できよう。
本書の第二の特色は、アメリカとの比較が随所で行われている点である。書名に「アメリカ」の文字は記されていないが、本書はアメリカの差別禁止法に関する研究書としても優れた内容を持つものといえる。アメリカは公民権運動とウーマンリヴの発祥の地であり、一九五〇年代から現在に至るまで、差別禁止法に関する数々の先進モデルを提示してきた国である。本書では、公民権法、年齢差別禁止法、障がいをもつアメリカ人法(ADA)など、アメリカが世界に先駆けて制定した差別禁止法が紹介されるとともに、関連する判例が数多く引用されている。このような点において、本書はアメリカの差別禁止法制を知る格好の手引きとなるであろう。
本書の第三の特色は、企業における差別是正に向けた取り組みが、当事者によって語られていることである。先述のとおり、本書第四部では、ベネッセ、資生堂、横河電機の担当者によって、それぞれの社内での男女共同参画の推進や障害者雇用の促進などに関する取り組みが具体的に説明されている。労働は生活を支える基盤であり、それゆえ雇用や就労における差別は広く法的規制の対象となっているが、実効的な平等の実現のためには、対症療法的な法的規制よりも、企業自身の自主的な取り組みが重要な役割を果たす。すなわち、企業自らがその体質や企業文化を人権調和的なものにしていかなければ、雇用差別や就労差別をなくすことはできないのである。本書では、規制と制裁を主たる手法とする規制型の差別禁止法だけではなく、企業の社会的責任を促進するような支援型の差別禁止法の必要性を説いているが、このような主張は、差別禁止法をはじめとする人権立法のあり方について、重要な視点を提示するものといえよう。
4 おわりに─若干の批判的コメント
これまで述べてきたとおり、本書は差別禁止法に関する研究書として、充実した内容を持つものであるが、どのような良書にも多かれ少なかれ不足を感じることは避けられない。そうした点を逐一あげつらうことは、揚げ足とりになりかねず、あまり生産的なことではないが、最後に本書に対して評者が感じたいくつかの物足りなさを指摘しておきたい。
第一に、本書の著者は労働法の研究者が多いためか、雇用差別や就労差別に記述が偏りがちであり、それ以外の領域における差別についての論及が相対的に希薄であった。差別行為は様々な場面で生じるため、それを網羅的に考察するのは困難なことであるが、例えば、障がい者差別や年齢差別であれば、アパートの入居拒否や宿泊施設の利用拒否といった、物品・サービス提供における差別も深刻な問題として指摘されているところである。無い物ねだりではあろうが、差別の領域や分野について、もう少し広いパースペクティブが設定されていれば、本書の有用性も更に高まったであろう。
第二に、本書では日米の国内法に焦点が絞られ、国際法やその国内適用に関する記述が手薄であった。しかし、差別禁止法の分野では、各種の人権条約の成立に見られるとおり、国際法の発展が著しく、それが国内法に与えるインパクトは看過できないものとなっている。そうした観点からの分析があれば、本書の内容もより充実したものになったと思われる。また、一九九二年の国連パリ原則の採択以来、差別等の人権侵害を予防・救済する機関として、人権委員会などの国内人権機関を設立するという動きがメインストリーム化しつつある。そうした動向を踏まえつつ、日本における救済機関のあり方についても言及があればと感じた。
以上、いささか「重箱の隅」的なコメントを連ねたが、本書が差別禁止法の研究書として高い価値を持つことに変わりはない。本書は差別禁止法の研究者はもとより、企業のCSR担当者などにも多くの示唆を与えてくれるであろう。本書が幅広い読者の手に取られることを期待する。