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2007.12.19
部会・研究会活動 <労働部会>
 
労働部会・学習会報告
2007年10月16日

「地名総鑑事件の背景と今後の課題」

報告:竹村毅(元労働省官房参事官)

1.身元調査の歴史とその原因

 身元調査や地名総鑑事件の問題点を検討するにあたり、その根本的な原因、すなわち日本の雇用慣行に連綿と受け継がれている体質を考える必要がある。

 江戸時代の雇用形態、すなわち「奉公」には4種が見られた。終身奉公、年季奉公(一年以上)、出替り(一年又は半年単位)、日傭取りである。「出替り」とは、参勤交代制度の関係上、一年毎に藩主が江戸に滞在するが、その際に奉公人が多数必要とされたために生み出された雇用形態である。

 出替り日は年2日に規制されており、領地へ帰る藩主と江戸に入る藩主がいっせいに移動するわけであるが、その際に需給調整をしたのがいわゆる「口入屋」である(武士を対象。ちなみに町人を対象としたのは「肝煎」である。これらの総称は「人宿」)。

 口入屋は、一分(四分の一両)の手数料を取って奉公人を紹介し、キリシタンではないこと、法度を守ることなどを保証した上で、給金・期間を明記して雇い主に手交した。今日でいえばある種の身元保証である。

 この口入屋には13の組合があり、それぞれが自主規制を行っていたが、その規制に奉公人の身元調べがあったのである。つまり、江戸の初期から身元保証が基本とされてきたのである。

 戦間期には、人宿システムは限界に達する。職種の多様化に対応できなくなったのである。そこで募集人制度が登場した。各地に募集人を置き、農家の子を募集し、事業者に紹介したのであるが、ここに大きな弊害が生じた。つまり斡旋人にだまされて過酷な労働に従事させられる事例が相次いだ。

 1909年には公立の無料宿泊所・紹介所が設置された。日清戦争の際に、政府は工業力向上の必要性を痛感し、工廠の下請けとなる中小企業の育成を図るが、そこでの労働力需要に対応するべく、興信所が導入された。当初は経営者の資産調査が中心であったが、後に労働者・求職者の身元調査を行うようになる。というのは、都市化の進展と大卒者が労働市場に進出するに及び、直接雇用が普及したのであるが、家父長制の特色が色濃く、家族関係になぞらえて雇用を考える事業者が多く、親として従業員の身元を知っておくのは当然という観念が根強いからである。

 この傾向は今日においても払拭されてはいない。有名な三菱樹脂事件においても、思想調査は合法であるとし、また労働基準法3条(労働条件における差別の禁止)に採用選考は入らないとしている。このような発想は地対協意見具申の「全人格を総合的に判断して決めるもの」という表現にも現れている。しかし世界的にはILO111号条約をはじめとする国際約束において、就職の機会均等は労働条件の一つとされている。日本の制度は、世界の標準的な考え方からすると異様である。

2.地名総鑑事件の時代的背景

 戦前、日露戦争以降に、一つの社会問題として部落問題が浮き上がってきたが、当時の部落改善の取組は、部落差別は部落に原因があるという発想に基づいており、慈善的かつ治安対策的な観点から社会事業が実施された。

 その後水平運動という自主自立の解放運動が組織され、戦後部落解放運動に繋がっていくが、この解放運動史は、まさに人権獲得の闘いであった。その行き着く先に1965年の同和対策審議会答申がある。この答申には時代的な制約もあるが、当時としては世界でも群を抜いた理念に裏打ちされている。

 つまり部落問題は部落の人たちの問題ではなく、社会の問題だとしたのである。まさに日本の人権運動の到達点、ゴールといってよい。

 しかし世界的には公民権運動や人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約など、差別撤廃に関する様々な取組が始まり、まさにスタートという時点であった。ここに、日本の人権水準と国際的な動向とにずれが生じてしまった。

 1975年に部落地名総鑑が発覚するが、その背景には、戸籍の閲覧制限・廃止の流れや、統一応募様式や履歴書のJIS様式例が整備されるなど、身元調査を防止する取組みが進んでいた。

 企業による就職差別問題を考えるに当たり、雇用の各段階(縦軸)と、差別の形態(横軸)を考える必要があろう。縦軸は、就職前(地名総鑑の作成・使用など)、採用・選考時(社用紙、面接、身元調査等)、就職後(差別発言など)がある。また、横軸としては、噂話などのインフォーマルな形態、組織的に行われる差別(差別的なピケなど)、制度的な差別(市町村長に依頼して身元を調査するなど)、直接差別、間接差別(無意識的な慣習としての差別)などがある。

3.事件に対する労働行政の対応

 地名総鑑事件を受けて、労働行政としては、次のような取組を行ってきた。

 まず個別指導からグループ指導に転換し、採用・選考等に関する雇用主研修会を30年以上にわたって開催してきた。

 また、採用のあり方についても適切な面接等について資料を提供している。

 さらに、企業内部からの変革を期待して、企業内同和問題研修推進員制度を設けた。

 また、同和問題企業連絡会の結成など、企業の自主的な取組を推進してきた。

 さらに、ポジティブ・アクションという形で、同和地区住民の優先採用についての導入も試みてきたところである。しかし、今日でも、就職差別が根絶できたとはいえない。

4.今後の対策案

 冒頭でも述べたように、これまでの取組みは、一定の成果を上げてきたものの、就職差別の根絶には至っていない。そこで、次のような点を検討すべきではなかろうか。

 まず第一に基本理念の再検討である。これまで適性と能力で判断すべきとしてきたが、ここには落とし穴がある。つまり、能力ということになると、能力を上手く身に付けられなかったことが本人の責任とされて、採用しない理由とされてしまう。学ぶ環境・能力を発揮する環境があったかどうかで能力は決められる点を振り返る必要がある。

 次に、採用選考時の情報の充実である。日本ほど、世界的に見て不必要な情報やとんでもない情報を重視し、必要な情報を取っていない国はない。今日の履歴書の記載事項は、米国ではクラス・アクションの対象である。適切なものといえば志望動機と趣味くらいであろう。

 他国で重視されている情報としては、これまでの仕事(パートタイム労働を含めて)でどういうことをしてきたか、身についた技術は何か、大学での勉強の内容、どういうことに貢献できるかなどである。これらの情報は日本では殆どやり取りされていない。だからこそ身元調査に頼ろうとしているのである。

 さらに求職者に対しては、労働条件や仕事の内容、勤務地といった、求職者が知りたい情報を提供すべきであろう。

 さらに、米国等で行われているデュアルシステム(就学時にもアルバイトやインターンシップに参加して職業経験をつむこと)やキャリアカウンセリング(個別的な就職指導)などの取組も参考にすべきであろう。

(文責:李嘉永)