文化創造部会では、「歴史の中の米と肉−食肉と差別の関係を中心に−」というテーマで、札幌大学女子短期大学部の原田信男さんに報告していただいた。報告では、‡@はじめに‡A稲作導入と国家‡B稲作と肉食の否定‡Cコメと肉と国家の領域‡Dおわりにと5つの項目で、文献や史料を用いながらの報告であった。紙面の関係上ここではその一部を紹介する。
律令国家は、国を守るために仏教を取り入れて、大仏を造り仏教の教義を押しつける。その中で、仏教では殺生戒、動物を殺すな、肉を食べるなという教えがかなり強くなる。このことにより肉を食べることは、罪だという観念が芽生えてくる。それに対し、神道では、浄・不浄という観念で、肉は穢れたもの、不浄なものであるという観念があり、これと仏教の殺生戒とが結びついた結果、肉が社会的にマイナスイメージをつけられることになった。また、肉食禁止令の目的は、動物を食べると稲作が失敗するという信仰が、その当時の社会にあったため、それを禁止することによって、たくさん米ができるようにということを律令国家が考え、定めたものではないかと思われる。
江戸時代というのは、律令国家がめざした、米を中心とした社会がある意味で実現した時代である。水田の開発がいたるところでなされ、米というものが非常に尊いものとされていく。
近世社会を母体として、近代社会は生まれたのであり、そういう意味では、江戸時代の価値観をかなり引きずっているということが言える。
米が聖なるもの、肉が穢れたものという価値観は日本社会に根づいて、今日までに引きずられており、差別構造を支えていると言っても過言ではない。