調査研究

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03.09.09
部会・研究会活動 <反差別部会>
 
反差別部会・学習会報告
2003年8月2日
「VTR隠された爪跡〜関東大震の朝鮮人虐殺記録映画」
「VTR丹波マンガン記念館」

(解説・報告)黒田伊彦(関西大学)

VTR「隠された爪跡」―関東大震災の朝鮮人虐殺記録映画―(60分)

 当時の体験を語る朝鮮人と日本人の証言を中心に、資料を通して時代背景を探り、関東大震災の朝鮮人虐殺の実像に迫っている。

講演「現代の自警団思想について」(黒田伊彦さん)

 1923年9月1日、関東地方を襲ったマグニチュード7.9(阪神淡路大震災は7.3)の地震は、死者9万9331人、負傷者10万3733人、行方不明4万3476人、消失家屋44万7128戸、全壊12万8266戸など、当時の国家予算の約3倍の被害を出した。

 東京の米倉庫の大部分は焼失し、地方からの食糧搬入も早急には望めず、食糧暴動が起こりえる状況であった。

 一方で、当時の内相水野錬太郎と警視総監赤池濃は、1919年に朝鮮で起こった3・1独立運動(200万人が参加)の際に、朝鮮総督府の政務総監と警務局長として弾圧虐殺をした張本人であった。

 戒厳令司令部告諭により権力が各地に自警団を作らせた。(軍隊から銃弾を貸与、関東一円で3238の自警団が組織された。)

 親方や旦那衆のふるまい酒でかり出された自警団員の社会階層は、都市貧民層・大工・車夫・人夫・農民等々1918年の米騒動に参加した人々と同階層であり、被差別部落の人々も加害者であった可能性がある。

 虐殺された朝鮮人の数は1923年11月現在で6415人で、当時関東地方に居住していた3万人の朝鮮人の5人に1人が殺された。

 虐殺の責任は自警団に転化され千数百人が起訴された。1924年に刑が確定したが、同年のヒロヒトの結婚による減刑等で実刑はない。

 混乱の中で9月7日に「治安維持令」が緊急勅令として公布され「治安維持法」へとつながっていく。

 関東大震災から80年後の今日、各地に設置されている監視カメラや、「拉致事件」以降の朝鮮人児童生徒への暴行・朝鮮人排除の風潮など、「現代の自警団思想」ともいうべき風潮が顕著である。地域の共同体秩序を守るためとして住民が権力にすりより、権力を支えて異端とみなす人を排除する。これは「郷土愛」や「愛国心」につながり、「国益守れ」「国土防衛」「やられる前にやり返せ」「先制攻撃」とつながって、有事法制をささえていく。


VTR「マンガン鉱山記念館存続の危機」(15分)

 強制連行された朝鮮人や被差別部落の人々が働いたマンガン鉱山の労働実態を再現した歴史記念館を紹介し、存続への支援を訴えるビデオ。

(文責・事務局)