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04.03.06
部会・研究会活動 <反差別部会>
 
反差別部会・学習会報告
2003年12月6日
教育基本法「改正」をめぐって
-近現代の公教育の歩みを問う

松浦 茂 (大阪市立新森小路小学校教諭)

 公教育は90年代に入って、新たな社会統合の理念・政策・規範の再構築を目指す「新保主義」路線で、学校のスリム化・職員会議の決定権の無効化・「心のノート」等々すさまじい「改革」が進められてきた。

 50年代には、戦後世界体制の米ソ対立という国際情勢、50年朝鮮戦争の勃発を契機とする国内体制の再編を背景として、教育勅語的理念を再構築しようとする発言が相次いだ。66年には中教審の別記という形で、高度経済成長期における「国民の行き過ぎる私的利益追求」という認識にもとづき、国家への忠誠を基調とした「期待される人間像」が発表された。

 84年の中曽根臨教審では、戦後教育システムへの批判(「平等」な公教育の岩盤が厚いことが教育の画一化、管理教育の原因とする)から、公教育を市場化したり、スリム化したりすることによって教育の自由化・多元化が図られるとし、自由化・多様化・国際化・情報化などをキーワードとした教育再編をもくろんだ。

 新自由主義(規制緩和、「平等」主義の打破→国鉄民営化、官公労・日教組解体攻撃ということもふくんできた)、新保守主義にもとづく国際国家への飛躍を目指した教育再編を意図するが、自由化論(財界)と平等論(文部省)の対立によって自由化論は「個性化」で決着した。

 70年代までの教育政策は国家主義をにじませていたものの、基本的には拡充整備路線であった。

 90年代に入って、中央教育審議会、教育課程審議会等々の審議会が発表してきた諸答申は部分的調整という範囲を大きく超えて、教育の根幹部分の変革を企図したものであった。この流れの中で教育基本法「改正」が焦点化されてきた。

 新自由主義が想定する「人間像」は競争市場の中で自己責任を負うことのできる「市場的人間」であり、その裏で、自己責任を負う事の出来ない人間は社会統制の観点から「矯正される人間」「受動的人間」と想定される。

 50年代後半からの高度経済成長は年功序列型賃金制度と終身雇用によって多くの労働者を企業主義社会の中に包摂し、企業への忠誠心、「政治的無関心、同調主義」「労働組合の企業主義化」などを生み出していった。

 国民大衆の目は教育の量的拡大の背後で意図されていた国家主義・天皇主義イデオロギーの強化にはむけられず、進学・学歴などの方向に主要な関心が向けられていった。

 戦後民主主義、戦後教育の「平等・画一の弊害」を強調し、これを否定する新自由主義の展開は、福祉国家型政策を破棄することであり、このことによって日本社会の階層分化が急速に進行し、社会の分裂が激化する。この分裂を押さえ込むためのあらたな社会統合策として新国家主義、新保守主義の再構築が目指されている。

(文責・事務局)