調査研究

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04.07.28
部会・研究会活動 <反差別部会>
 
反差別部会・学習会報告
2004年3月6日
映像と資料による1930年代と現在の比較研究(2)

中国人強制連行「花岡事件」と鹿島建設と国の責任のとり方
-VTR「風の骨」を用いて-

黒田伊彦(関西大学)

  1944年2月日本政府は中国人労働者を日本につれてくる方針を出し、中国で無差別に捕らえられた人や日本軍の捕虜になった人たち38.935人が強制連行された。そのうち、6.830人が死亡している。

  花岡鉱山は、1886年に銀床が発見された鉱山で、藤田組(現大同鉱業)が経営していた。1944年の調べでは従業員13.000人のうち、朝鮮人4.500人、中国人298人などだが、強制連行の中国人986名が、鹿島組花岡出張所が鉱山から請け負った花岡川の流れをかえる工事に投入された。

  彼らは、栄養失調や暴行で死者が続出するひどい状況で働かされたが、「このままでは全員が殺される」と1945年6月30日夜に約800人の中国人が蜂起した。

  日本人補導員4人と内通していた中国人1人を殺したが計画は失敗し、1週間後には全員がつかまって拷問などで113人が死亡した。

  敗戦後に帰国するまで、死者は418人にのぼったが、1948年の横浜裁判で鹿島組の補導員たち6人が死刑などの判決をうけたものの、その6-8年後に釈放されている。

  1995年に、鹿島花岡中国人強制連行損害賠償請求が東京地裁に提訴されたが、20年以上経過しているとして却下され、2000年11月に東京高裁で鹿島建設が5億円の「花岡平和友好基金」を中国紅十字会に信託する形で原告11人と遺族986人が和解した。

  強制連行は政府と企業が組んだ行為であり、政府の責任が問われるのは当然であるが、この判決では、強制連行を進めた国の責任は問われなかったし、企業は「補償・賠償」ではないとして戦争責任を認めていないなど、問題が残る。

  2003年1月の京都大江山日本冶金の中国人強制連行に対する京都地裁判決では、京大芝池教授の論理を応用して「国家無答責」を適用しなかった。また、2002年4月の三池炭坑、田川炭坑の三井鉱山の中国人強制連行への謝罪と賠償要求に対する判決では「時効除斥は正義と公平の理念に反するので適用しない」とした。

  今後も、被害国の人々と加害国の人間が共に連帯して運動していくことが必要である。

民衆の責任-「ばんざいじっさま」(にんげん中学生用教材)から-

  この作品の背景になったのが花岡鉱山事件である。作者のさねとうあきらさんは「私には、民衆が歴史の主人公であるなら責任を負うのもまた民衆ではないのか、という考えがある。

  民衆があやまちを自責していくことが、歴史を変えていくことにつながることではないか」と述べている。

  新しい歴史教科書をつくる会は右の側から挑戦してきて、愛国心がどまんなかにすえられる時代状況になっているが、彼らにかえす言葉が少なすぎる。国の犯罪、企業の犯罪の実行犯として残虐行為を働き、国・企業に守られて罰をのがれ、国の責任、企業の責任を追及してこなかった私たち日本の民衆が、今また、いつかきた道を歩み出している。

  加害者と被害者が共に闘うことで心の絆・国際連帯が生まれるとの展望を持って進んでいきたい。