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05.01.06
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反差別部会・学習会報告
2004年9月25日
日露戦争100年と武士道ブームを問う - 大東亜聖戦大碑批判

黒田伊彦(関西大学)

 「大東亜聖戦大碑」は、金沢市の兼六公園の裏の石川護国神社一の鳥居正面に2000年に建てられた。碑建設の直接の動機は、1995年の国会における「植民地支配や侵略行為がアジア諸国民に与えた苦痛を認識し、反省の念を表明する」という「戦後50年決議」への抗議であった。高さ12メートルの碑の上部に日の丸を表す丸い銅版をはめこみ、裏には「八紘為宇」の文字が刻まれている。大東亜聖戦とは、朝鮮台湾を植民地にし、偽満州国建設を行い、アジア諸民族2000万人を殺した侵略戦争を、解放戦争であるとし、天皇による正義の戦争、八紘一宇の実践とするもので、当時、地元の軍人恩給連盟などからも「聖」の字は必要ないとの異論もでた。

 今年は日露戦争100年にあたり、大東亜戦争肯定論者は、自衛戦争、アジア解放戦争のはじまりだと騒いでおり、交戦を可能だとする憲法第9条「改正」の世論づくりも盛んだ。日露戦争の日本の勝利は、日本の軍事力のみによるのではなく、ロシアの民衆の闘いに助けられている。1905年の「血の日曜日事件」をきっかけに高まった革命への気分や兵士の反戦気分の広がりなど、民衆の視点を欠落させてはならない。イラク派兵の自衛隊員を鼓舞する言葉として「武官より武官らしく」が宣伝され、武士道の発揮としてイラク派兵が評価されるようになっている。イラク派兵で交戦権否定の憲法9条との整合性が問われている中で、それを覆い隠すベールの役に「武士道」が使われている。

 「大東亜聖戦大碑」は、石川県が護国神社から借りた土地に建てられている。「『大東亜聖戦大碑』の撤去を求め、戦争の美化を許さない会」や県議会議員らの追求で、「碑文をチェックせずに許可したのは県の落ち度」と認めたものの、無責任な対応に終始している。

 イラク派兵の中、戦争を支える天皇制ナショナリズムが強められてきている。2003年11月、金鵄勲章の復活ともいうべき自衛官への叙勲制度を新設し、生存している自衛官887名へ叙勲した。現役でも叙勲できるよう画策中である。イラクで戦死した自衛官への弔慰金は1億円で、6億円かけた慰霊施設を市ヶ谷駐屯地に整備した。埼玉県では公文書に「皇紀」と「大東亜戦争」が復活している。教育基本法と憲法の「改正」をめぐって、歴史認識の面でも、強い圧力が加えられてきている。

 武士は戦に負けたら素直に勝者に従い敬う人間関係が日本的な「和」である(武光誠)として、学力においても勝ち組(エリート)に負け組は従うべきだと主張されている。「和」を憲法改正前文に入れようとしているが、これは戦争中の「国体の本義」の「和」の再来である。すなわち「我が国の和は理性から出発し、互いに独立した平等な個人の機械的な協調ではなく、全体の中に分を以て存在し、この分に応ずる行を通じてよく一体を保つところの大和である」とある。自己責任で勝負に負けたのだから分に安んじて反抗しないで体制の社会秩序に順応することの「和」だという主張が新しい国家像として出されようとしている。

(文責・事務局)