(第一報告)
人権とは人は生まれながらにして持っている当然としての権利=自然権というものだと、市民革命の中で言われている。1789年に女性たちのデモ隊が国王を拉致してきて署名させた「人および市民の権利宣言」の中で明記された。しかしここでいう「人」は男性のみで、女性や奴隷、植民地の人々は入らなかった。1791年にグージェという女性が、女の権利は男性と対等という宣言文を出したが、1793年に処刑されている。
1948年の世界人権宣言は、ナチスや日本軍国主義の台頭を許さないためにと採択されたが、人権を抑圧する事象が「弾圧」「奴隷的拘束」等多々ある中で、「差別されない」ということを第一にかかげていることに注目すべきである。
1946年公布の日本国憲法においても、「差別されない」ことを第一にかかげているが、在日外国人の存在を無視し日本国籍をもつ人の権利だけを保障するものになっている。
自民党が2005年11月に憲法改正案を発表するが、自民党内では以下の2つが声高に叫ばれている。
<1>天皇の先祖を祀る祭祀権を国事行為として認める(国家神道の復活)。
<2>「結婚は両性の合意に基づくという規定を廃止する。(家族の許可がないと結婚も離婚もできなくなる)
民主党の2004年6月に出された憲法原案では、「和の精神」を言っており、憲法を道徳のように混同してとらえている。また、「日本の伝統文化を重んじる」と言っているが、これは家元制度など血統を尊重することにつながる。血統という最も差別の中心的思想に結びつくあやうい状況である。
まとめ・福沢諭吉は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と「学問のすすめ」に書いたが、「いえり」すなわち「いっている」とヨーロッパの天賦人権論を紹介しているだけで、平等主義者ではなかったのである。その証拠に1897(明治30)年の福翁自伝には「人を目下に見下すことは亦甚だ嫌である。例えば、私は、馬丁、人足、小商人の如き下等社会の者は別にしていやしくも話のできる人間らしい人に対して無礼な言葉を用いたことがない」とのべている。
人間を上等と下等に分け、馬丁、人足は人間らしい人間でないから呼び捨てて良いという考えは、朝鮮の植民地支配を正当化した「脱亜論」と結びついている。
歴史における進歩とは、不条理の苦痛をどれだけ除去しているかがその尺度となると考えるべきだろう。