調査研究

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05.05.16
部会・研究会活動 <反差別部会>
 
反差別部会・学習会報告
2004年12月18日
今宗教者として思うこと

本田 哲郎(釜ヶ崎ふるさとの家)

労働を基軸とした支援を

山田實(釜ケ崎反失連委員長)

<第1報告>

「愛すること」よりも「大切にすること」を求めたい。

社会的弱者に対する関わりの姿勢は多様である。野宿をしいられた人たちを「愛せるまでに」と努める人もいる。「隣人を自分と同じように愛せよ」を自分に課しているのか。こういう人は、愛する側の自分の気持ちの純度を大事にして、一方的に愛を傾けようとする。そのため、愛される側に立たされた相手の本音、いちばんの願いになかなか気付かない。だから、関わりがあわれみや施しになってしまう。

厳冬のある夜、釜で、暖をとる担当をしていた。労働者がやってきてカンパをしていった。ドヤにも泊まれない、全財産500円しかない労働者が、両替してまでカンパをしていった。

痛みを知る人が、人の痛みを思いやる。

人の関わりをささえるエネルギー源は、エロスとフィリアとアガペー。この三つを区別なしに「愛」と呼ぶから混乱する。

エロスは、家族、連れ合い、恋人への、種の保存に根ざす無償の「愛」。

私たちが「愛」ということばを口にするとき、これをイメージする。だから「博愛」とか「隣人愛」は不毛な努力目標……。

フィリアは、仲間や友人の間に、自然に湧き出る「好感/友情」。

好き、嫌い、性格的に合う合わないは、あってもいい。

アガペーは、相手がだれであれ、その人として「大切」と思う気持ち。

聖書が求めるのはこれ。「隣人を自分と同じように大切にせよ。」

この三つとも大事な関わりのエネルギー。

しかし、エロスはいつか薄れ、フィリアは途切れることがある。

アガペーは、相手が誰であれ、「自分と同じように大切にしよう」と思いつづけるかぎり、薄れることも途切れることもない。

小さくされてつらい思いをしている誰かの前に立つとき、家族のように愛せるか、親友のように好きになれるかと、自分に問うことは意味がない。自分自身が大切なように、その人を大切にしようと態度を決めること。そのとき、互いの尊厳を認め合う関わりが始まる。

アンダースタンド(understand)=理解するということは、相手を尊敬して、相手より下に立って「あなたの考え思いを教えて下さい」という姿勢を持つことである。

「人は尊敬されるべき存在」であると水平社宣言は謳っている。

サービスする側ではなく、サービスを受けねばならない側に主はおられる。

<第2報告>

バブルがはじけて以降、日雇い労働市場が縮小し、求人数は4分の1に減少した。野宿生活者は、大阪では人口2.5%で、東京の0.7%、全国の0.2%に比べて異常に多い。

反失連は1993年に結成され、就労闘争を中心に運動してきた。

行政は実情にあった就労政策をしていない。支援センターで職業訓練をうけて期限の3ケ月で送り出されても、不安定な職場にしか行けないし、1〜2ケ月後にまいもどっている。既存のしくみ(生活保護法、失業対策法)が機能していない。社会・経済政策の失敗が大量の野宿者を作りだしている。新しい時代に見合ったしくみを整える必要がある。

野宿者がまず畳の上に上がれること、しかし、それだけではだめで、働いて収入が得られる仕組みを作らないといけない。労働からの阻害と排除が社会からの阻害と排除につながってきた。労働を通して協働関係の回復をしなければならない。働くことが福祉の中に位置づけられてこなかった。

ハコモノを作って隔離収容する従来の福祉政策ではなく、福祉の基軸に労働をすえるべきである。

「野宿でも、アルミ缶集めて生きていくわい」

あてがいぶちだけでは生きていけない。

働いて誇りをもって生活を作っていってもらうよう、自然環境の維持など社会的に必要とされる、社会的就労の新しい領域を作って、社会的に位置付けて押し上げていくのがこれからの課題である。

(文責:田中ひろみ)