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2005.09.13
部会・研究会活動 <法律・狭山部会>
 
法律・狭山部会・学習会報告
2005年5月23日
狭山事件第2再審請求特別抗告
最高裁棄却決定について

松本健男(弁護士)

はじめに

  狭山事件の第2次再審請求に関して、本年3月16日、最高裁は特別抗告を棄却する決定をした。しかしこの決定は、石川一雄さんを犯人に仕立て上げようという捜査当局の結論をこぎつけるものである。これこそが今回の棄却決定の眼目である。そこで、今回は、狭山事件の概要を振り返るとともに、今回の棄却決定の問題点を指摘したい。

事件の概要

  この狭山事件を考えてみるときに、この事件の特殊性というものを知る必要がある。そこで、若干事件の概要を振り返ることとする。

  1963年5月1日、これが狭山事件発生の日である。被害者の中田善枝さんの丁度誕生日であったにもかかわらず帰宅しなかった。そこで善枝さんの兄が車で探しにでた。しかし見つからなかったため自宅に戻ったところ、まもなく脅迫状が届けられた。兄はこれを一読して、すぐに警察に届け出た。脅迫状の指示にあるように5月2日の夜12時頃、「佐野屋」付近に善枝さんの姉が偽のお金を持って行き、その周囲を警察が待機していた。しかし、その配置が失敗していたのであり、桑畑の方向は極めて手薄であった。そのために犯人を取り逃がす結果となったのである。これが事件の発端である。

  しかし、実況見分は、本来3日にすべきところ、佐野屋周辺を捜査したのは2日後の4日であった。そのせいか、犯人の足跡についての写真撮影が行われていない。これは大変奇妙なことである。その4日、近くの農道の穴に埋められた被害者の死体が発見されたのである。しかし、狭山事件の特殊性は、犯人が、池や山中に遺棄するのではなく、わざわざ農道を掘って埋めている点である。このことから、複数人による犯罪であることが伺える。

  その後、死体発見現場近くでスコップが発見されたが、そこに脂性の付着物があることを鑑別した。このことから、捜査当局は石田養豚場が関係しているに違いないという見込みをつけ、石川一雄さんを検挙する契機となったのである。5月22日、石川さん宅で5月1日のアリバイに関する上申書を書かせ、筆跡鑑定を行い、これを証拠とをして逮捕状請求をしたのである。5月23日、石川さんは恐喝未遂他の別件について、逮捕された。6月17日に、強盗強姦殺人の容疑で再逮捕されるが、その後の捜査によって発見される証拠は、いずれも石川さんの自白と食い違う点が多数ある。更に言えば、自白が行われた後に証拠が発見されること自体、極めて不合理なのである。

主な争点

  狭山事件においては、前述の脅迫状が、もっとも重要なポイントとなっている。この脅迫状は、極めて精緻な文章で書かれている。これがこの脅迫状の特徴である。また、「死」を強調している。1974年の高裁判決(寺尾判決)でも、死刑を無期懲役に変更したものの、被告人が有罪であることを前提とした論理となっている。その最たるものが、上申書と脅迫状の、「筆跡の同一性」なのである。つまり、検察側の有罪三鑑定は、個別の平仮名字を比較して同一性を検討する手法をとるが、これは、類似性を強調し、同文字間の相違性を無視するか看過してしまう。さらに、文章構成や文言表記上の誤り、稚拙さなどを無視してしまう。このような鑑定を全面的に採用した確定判決の論理は、まったく出鱈目なのである。文書鑑定で最も重視すべきなのは、文章能力を含む、文書の個性差である。

(文責:李嘉永)