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2006.06.26
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法律・狭山部会・学習会報告
2006年05月15日
松阪商業高等学校教員差別事件控訴審判決の要旨と課題

丹羽 雅雄(弁護士)

1.事案の概要

 三重県立松阪商業高校に勤務する教諭が、同和地区を含む町内会に属する団地内に自宅を新築して転居したところ、生活上の利便性のためと称して、隣接する別の町内会に当該団地を分離しようと考え、団地住民に分離運動を働きかけた。

 その過程で、「お嬢さんの将来にもいいですしね」などと発言した。これに対し、松阪商業の同推委員の対応ないしは部落解放同盟三重県連主催の事実確認会・糾弾学習会、松阪市による会場提供、三重県教委の戒告処分、津地方法務局による説示などが、脅迫、強要、名誉毀損及び暴行に該当するとして、県、市、国については国家賠償法、解放同盟員5人に対しては民法上の不法行為であるとして、連帯して1100万円の損害賠償を請求した。

2.第一審の争点と判決の要旨

(1)本件分離運動が部落差別によるものであるか否か

 第一審判決は、本件分離運動が部落差別によるものであるとまでは断じ難いとしながら、原告(教諭)の内心的意図はともかくとして、外形的には、部落差別によるものと疑われるべき十分な事情があったとした。

(2)本件発言が些細な、たわいもない失言であるか否か

 また、本件発言が、同和地区に対する結婚差別を意味すること自体は原告も否定しておらず、このような差別が不合理なもので、同和地区に居住する人びとの人権を侵害するものであることは明らかである。そのため、直後に謝罪しているとの主張(住民の陳述書によれば、謝罪は行われなかったとのことである)にも関わらず、本件発言をもって些細とか、たわいのない失言であったとか評価することは到底できない、とした。

(3)本件各行為が不法行為を構成するか否か

 この点については、三重県についてのみ損害賠償責任を認容した。というのも、法的には作成する必要のない反省文を作成させ、また法的な出席義務のない糾弾学習会への出席について、任意のものであることを告げなかったことが、強要行為にあたるとした。ただし、糾弾学習会それ自体については、当該分離運動・本件発言を行った原告に対し、事実関係の確認や、差別意識を追及することは、その目的として不当とは言えず、その態様も厳しいものではあったとしても、脅迫・強要にわたるものがあったとは認め難いとし、解放同盟員に対する請求は棄却した。

3.高裁判決の要旨と評価

 第一審判決は、三重県についてのみ220万円の損害賠償を認容したが、高裁は、330万円に増額した。これは、反省文の訂正回数や、確認・糾弾会への出席を指示する行為について、追加的に県教委の責任を認容したものである。

 ただし、その他の争点については、原審に比して、一層踏み込んでいると評価できよう。まず争点(1)については、原審は、分離運動が差別意識によるものであるかどうかまで踏み込まなかったが、高裁は、「暗に本件分離運度が部落差別の意図によるものであることを認めていたか、少なくともそのように判断されてもかまわないとの意図をもっていた」として、部落差別の意図を推認している。

 また、(2)についていえば、原告側は、「同和地区住民と同一視されたくない」という考えを「幸福追求権」などと主張したが、これに対しては「差別の存在を前提とし、これが今後も継続されることを容認し助長するというだけでなく、端的に部落を隔離して差別する行為であるといわれてもやむを得ない」と厳しく批判した。さらに、私的な会話内容であるから第三者が追及することは正当ではないとの主張についても、本件分離運動が、町内会に積極的・継続的に行ったことからしても、軽微ならざる結果をもたらす社会的な活動行為であって、部落差別事件としては、単なる差別発言というに止まらない「比較的重大なもの」と指弾した。

 他方で、糾弾のあり方については、原審では、目的の公益性のほかに、その態様については特に基準を示すことはなかったものの、高裁判決では、「義務のないことを強要し、あるいは脅迫するなどの違法な手段を用い」ること、また内容について「動機や背景事情を超えて内心の差別をする心理に深く立ち入」ること、あるいは「父母や祖父母や差別心まで明らかにすることまでは必ずしも必要なものとはいえ」ないとして、基準のようなものを打ち出している。

 これまで、糾弾の合法性については、刑事事件関連の判決が相次いでいること、また、法務省通知を初めとして、否定的に捉える風潮が強まるなかで、本件判決は、一定の制約をかけながらも、その目的において公益に資するとまで評価していることは、強調すべきであろう。

(文責:李嘉永)