(1)訴訟の状況
2007年3月現在、2212人の中国残留日本人孤児が原告となり、訴訟を行っている。係争状況としては、15件が提起されており、そのうち3件は高裁段階にある。これまで5訴訟で判決があり、神戸地裁判決のみが原告の主張を認容している。被告国の責任を求める法律的根拠としては、帰国制限や妨害といった早期帰国実現義務違反と、帰国後の自立支援義務違反を主張している。被侵害権利として最も重要なものは、日本の地で人間らしく生きる権利である。この権利を侵害する被害として共通するものは、次の四つである。すなわち、中国にとりこのされた被害、日本語によるコミュニケーションの不能・困難による生活権侵害、あらゆる活動を通じて日本社会に参加する機会が奪われていること、さらに経済的に自立した生活を営むことができないことである。
(2)「満州移民」に対する棄民政策
被告国の責任を裏付ける事実として、まず棄民政策がある。侵略戦争の一環として32万人以上の日本人が「満州国」に移住した。その際、中国人の土地を奪って農地を確保するという強引な手法を用いたため、中国人からの怨嗟をかい、戦後現地の人々による襲撃が頻発した。また、「極楽王土」などと吹聴して凍土の「満州国」に移民を送り込むという欺罔的手段を用いて募集し、これは敗戦直前の1945年まで続けられたのである。
さらに敗戦時には「在満邦人」を遺棄した。ソ連参戦を前にして、中国東北部を持久戦の戦場とすることを決定し、「満州国」在住の男性をすべて動員したのである。また、開拓民にはソ連参戦の情報を与えず、生きたカカシとし、「関東軍は磐石の安きにあり」などと虚偽の情報を流布した(静謐作戦)。他方で ソ連が参戦すると関東軍は邦人保護をせず真っ先に撤退し、退路を断つなどした結果、「在満」邦人は餓死・凍死するか自決を迫られた。にもかかわらず被告国は訴訟において、ソ連責任論を展開して開き直っているのである。
(3)引き揚げに対する消極姿勢
また、引き揚げ・未帰還者調査からも取り残された。移民政策として「現地土着・日本国籍離脱方針」が掲げられたため、際立った遅れが発生した。1953年以降、民間団体が引き揚げ事業を実施するが、岸信介の反中政策の結果、引き揚げ支援に対して政府は極めて消極的な姿勢に終始したのである。中国政府からは人道的観点から引き揚げに対する協力要請が行われたが、日本は応えようとはしなかった。1958年には中国国旗侮辱事件によって民間引き揚げ事業も中止された。1975年段階で2503人の残留孤児がいたことを認識していたにもかかわらず、担当の厚生省担当者は「国際結婚、中国人にもらわれていった子ども」などとし、帰国を希望しない者と断定した。さらには、戦時死亡宣告制度を設け、満足な調査を行うことなく、恣意的に死者扱いにした。
81年になって、民間団体の強い要請のもと、ようやく訪日調査が行われるが、毎回数十人程度であり、帰国実現はさらに長期化した。また、帰国時も、帰国の際に身元保証人が要求された。これについては社会的な批判をうけ、身元未判明孤児については身元引受人制度を設けるが、「長期に説得した」かどうかという要件が課された。現在は帰国が無条件に認められているが、20年以上にもわたり、帰りたくても帰れない状態が続いたのである。
(4)貧弱な生活保障
また、帰国後も、生活を保障すべきであるにもかかわらずこれを怠った。日本語教育を含め、施策実現が大幅に遅れた。定着促進センターが開所する84年まで、自立支援と呼べるようなまともな施策はなく、1984年にいたってようやくセンターが開所するが、日本語教育は数ヶ月で打ち切られ、日本語習得は極めて困難であった。また、自立指導員や職業相談員が設置されているが、日本語の問題もあって、満足には働けない。そもそも高齢な孤児には殆ど無意味である。就労に至るまでの生活保護は極めて短期間であり、就労を迫られる。そのため、十分に日本語を習得することなく、不安定な就労をせざるをえないのである。
(5)判決の評価と課題
これらの侵害事実に対して、神戸地裁においては、早期帰国実現義務について合理的な根拠なしに帰国制限をする行政行為を行い、違法な職務行為であったとして、600万円の慰謝料を認容した。しかしながら何れの判決も、自立支援義務については、義務それ自体の存在を否認するか、あるいは義務の存在を認めても、義務違反はないとした。現時点の到達点としては、帰国実現義務の成立はおおむね認められているが、違法性のハードルが高いということである。この裁量の幅をいかにして狭めるかが課題である。
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