調査研究

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2004.07.28
部会・研究会活動 <人権部会>
 
人権部会・学習会報告
2004年5月26日
メディアと人権

平川宗信(中京大学教授)

  日本には、記者クラブ制度というものがあり、裁判所、警察、府庁などの中にある。警察の記者クラブなら警察から、府の記者クラブなら府庁から情報を得ている。例えば警察記者クラブなら、警察情報がメインとなって、その他は周辺取材で報道が構成されている。大企業、自治体に多くの情報が集まってくるので、ここに情報源を求めすぎているのではないだろうか。記者クラブにいれば、情報が入ってくる。しかし、その情報は、企業や自治体にすれば流したい情報なのである。

  情報を出す側は、情報を操作するつもりで出している。そこをどう突破していくかを考えないと情報操作に対抗できない。問題点はオフィシャルな場から出てくるのではなく、個人から出る場合が多い。しかし、オフィシャルな情報でなければメディアは取り上げてはくれないのである。

  情報を出す側が情報公開の場を作っているという状況を、メディア側はどう考えるのか、記者クラブのメンバーであるという特権に安住しているのではないだろうかという批判にどう答えるのかという問題がある。

  メディアは独自に調査報道を行っている場合もあり、重要な意味を持っている。特に週刊誌の場合、調査報道は権力や企業に向くのではなく、個人に向くことが多い。これは権力に正面からぶつかれないというメディアの弱さではないだろうか。本来のメディアとして何を報道すべきか、ジャーナリズムとしてのニュース価値に対する目というものがはっきりしていないのではないのだろうか。何を視聴者に伝えたいかではなく、他の報道機関に遅れをとらないようにという競争となってしまっている現状である。

  最近では、権力を監視するために権力行使された側の実名を報道するということが増えてきた。誰が逮捕されたかを報道によって視聴者に知らせることによって権力監視ができるという考えである。しかし、本来なら「この裁判官がこういう状況の中で逮捕状をだした」ということを報道すべきなのではないのだろうか。権力監視に実名報道が必要ならば、その情報はどこから得たのかを記すことが必要なのだ。でないと正しいのか否か確認のしようがないのである。

  報道で語られている情報はすべてが正しいものとは限らない。全体像をつかみ、情報が確定するまでは、今進行していることを報道すればいいのではないか。多くの調査により真実が明らかになるのか、たくさんの人がしていることが真実をなのか。メディアは、メディアにおける真実の追究とは、たくさんの情報をかき集め真実を構築することなのかを考えるべきである。

  読者、視聴者はメディアをどう読み解くかのノウハウを知らない。メディアをそのまま受け取り、その情報が裏返ればメディアに対する信頼を失う。メディアというものをよく知っていれば、鵜呑みにはしない。市民に対するメディアリテラシー教育が大切な時代となってきている。学校や民間企業でもメディアリテラシーの場を作ることが大切ではないだろうか。メディアの読み解き方を身につけることにより、報道被害の加担者から批判者へ、自分自身の立場を変えていくことが大切であり、市民がメディアを批判できるようになれば、メディアは成長していくのである。(文責・事務局)