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2007.07.27
部会・研究会活動 <人権部会>
 
人権部会・学習会報告
2007年5月18日
人間の尊厳を考える
- ヒト学の視点から

尾本惠市(総合研究大学院大学上級研究員)

人間の尊厳とは?

 「尊厳」について、「ヒト学」を紹介しながら私なりの考えを話していきたい。

 「人間の尊厳」といったとき、まずイメージするのが「尊厳死」であるが、尊厳死についてインターネットをみると「人間としての尊厳を保って死ぬこと。つまり、単なる生き物としてではなく、人間としての処遇を受けて、人間として死ぬこと、ないしそのように達成された死のこと」と説明されている。また、日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」では、自分らしい「死に方」とあり、逆にいえば自分らしい「生き方」ということになる。そして、尊厳に反する行為とは奴隷、レイプ、虐待、拷問など自由の束縛や屈辱、名誉の侵害といった基本的人権の否定、あるいはその他さまざまな「非人道的」扱いをいい、「人間の尊厳」とは、冒されて初めて認識されるものだといえる。

 また、区別・偏見・差別についての私なりの理解は、区別(distinction)とは、ある事物が他の事物とは異なると認識することであり、科学はこの区別によって成り立っている。偏見(prejudice)とは、価値判断に由来する個人的な好き嫌いをいい、おそらく偏見というものが全部なくなるということはないだろう。しかし、あまりに有害な偏見についてはみんなで戒め注意しなければならないし、法によって規制しなければならない偏見もある。差別(discrimination)とは、特定の社会、または公人としての個人が偏見を公に認め、または法律等に反映させることである。つまり、差別とは偏見を公的に認めることと理解している。

 こういった考えを前提に以下の話を進めていく。

「人類学」から「ヒト学」へ

 私はこれまで生物学としての人類学、つまり自然人類学を学んできた。人類学は、今まで主としてヒトと他の動物との連続性(共通性)を証明しようとしてきた。ダーウィンが唱えたように、ヒトはサルから進化してきたことについて、今日では多くの証拠(DNAなど)があるが、今日の人類学には疑問を感じている。それは、霊長類学と化石人類学に重点がおかれ、現代人(ヒト)についての研究がおろそかになっているということと、自然人類学と文化人類学が乖離してしまっているということである。これに対して、ヒト学とはヒトの特異性の進化、つまりヒトとチンパンジー等他の霊長類との違いに注目するとともに、人権、環境、平和等の問題も含んだ現代文明下のヒトの問題にも挑戦する学問として位置づけている。具体的な定義については2007年度中に岩波新書として出版予定になっているのでそれを参考にされたい。

文化(Culture)と文明(Civilization)、都市文明

 文化とは、遺伝によらず、学習によって集団内部に広がり、価値判断によって選択され、世代を超えて伝えられる生活様式(伝統)およびその産物であり、すべてのヒト集団は文化をもち、文化によって自然環境に適応している。

 約1万年前以降、大河の河口などの限られた地域に農耕・牧畜を基礎に人口集中が起こり、城壁、神殿、巨大な墓、文字、カレンダー、階級制、職業分化、法律などをもつまったく新しい文化複合体としての都市が出現する。このような文明は、遺伝子の変化を伴う進化(evolution)の結果ではない。われわれは、文明によって多くの物質的・精神的恩恵を受けた一方、人口爆発、環境破壊、戦争など、生物としてのヒトの矛盾も有している。

 現代でも、文明を採用しなかった狩猟採集民が存在しており、文明はヒトの普遍的な条件ではない。現代における狩猟採集民の末裔としては、アフリカのピグミー(中央アフリカ)、サン(南アフリカ)、アジアではアイヌ(日本)、ネグリト(東南アジアなど)、オセアニアではアボリジニー(オーストラリア)、アメリカではイヌイット(極北アメリカ)、アサバスカン(カナダ)などがいる。

 これら狩猟採集民の特徴としては、小集団で核家族の集合体(バンド)で人口密度が極めて低く、多様な食物を摂り主食はない。食物は保存せず、食物は平等に分配して全員で食事を共にする。男女の役割分担があり、リーダーはいるが階級はなく、アニミズム(精霊信仰)であり、正確な自然認識をもっている。「狩猟採集民は落ちこぼれである」といった考え方は「文明」対「野蛮」という偏見からくる誤った考えであり、むしろ彼(彼女)らはヒトの原点の生き証人といえる。

 アイヌ民族として初の国会議員となった萱野茂さん(故人)はアイヌ文化の伝承活動の中で「われわれアイヌは、自然の利子で食べさせてもらっていた。そこに和人がやってきて、元本を食いつくしてしまった」というメッセージを残している。

ヒト学からみた人間の尊厳

 現代文明の問題点は、人口爆発、環境破壊・資源枯渇であり、南北問題にみられる文化対立や戦争、搾取や子どもや性に対する人権問題であり、情報問題である。そして、これらはすべて「ヒトの問題」である。

 K・ローレンツは「文明化した人類の大罪」として以下の8点を指摘している。

  1. 人口過剰 (社会的接触の過多から攻撃性がたかまる)
  2. 自然破壊 (資源の枯渇、自然に対する畏敬の念の喪失)
  3. 競争の激化 (競争手段としての技術の発達、国家はあたかも異なる生物種のように殺し合う)
  4. 感性・情熱の萎縮 (科学技術の過大な進歩によって虚弱化)
  5. 遺伝的衰弱 (自然淘汰の消滅による)
  6. 伝統の破壊 (急激な価値判断の変化、世代間の対立)
  7. 教化 (教育・マスコミによって画一化)
  8. 軍拡・核兵器

 ヒトは単なる生物(サルの一種)である。しかしながら、進化(突然変異と自然淘汰)の結果、ヒトは言語に基づく文化、価値判断、創造性などの認知能力をもつユニークな存在(人間)になった。その文化は多様だが、どの民族集団にも見られる普遍特性がある。そして狩猟採集民は現代文明を相対化している。普遍特性をもちながら、個人が満足して生きる(人間らしく生きる)ことが尊厳の条件である。なかでも、家族を中心とする人間関係は重要な意味をもっている。人間の本性としての「心」や「感性」の学際的研究が今後の重要課題である。

(文責:松下龍仁)