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啓発部会・学習会報告
2001年10月5日

差別意識の形成要因と啓発の課題

(報告)佐藤裕(富山大学)

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 部落問題に対する意識形成調査研究事業公開学習会と合同で開催された。以下、事務局の文責で概要を報告する。

1.「差別意識」という概念と意識調査による測定

 これまでの行政による意識調査に不満を感じてきた。例えば、意識調査をどう啓発などの施策に活かしていくのかということ。また、そもそも何を調べようとしているのか。差別意識の概念規定がなされていない中で、部落に対する敵意、マイナス評価、忌避的な感情などと、「寝た子を起こすな」や部落の起源などの考え方の両方を聞いている。意識調査における差別意識の概念が混乱していると思う。

意識調査によって差別意識を把握しようとする時の限界点としては、日常生活で起こりうる具体的な場面から切り離された回答になるということ。あらかじめ想定された選択肢から選ばせる選択肢法に限界があること。考えたことさえないような人にも強制的に回答させるという問題。意識と行動の因果関係を把握することの困難さといった限界点が指摘できる。

今回の意識調査において差別意識を把握するためのモデルとしては、逆に混乱した概念としての差別意識にはこだわらず、具体的な行動とそれに直接影響を与えるものに注目した。個人の中にある「状況認識」と「価値観(差別観・倫理観)」である。例えば、差別は厳しい、なくならないという「状況認識」と差別に対して可視的に抵抗できるかという「行動」について、その因果関係を明らかにしようとした。

また、ある価値観を持つに至る情報伝達経路については、例えば同和問題学習などの公式な経路と意図されない日常的な情報がある。今回、「あなたは同和は怖いという話を聞いたことがあるか」などの質問項目を設けている。
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2.意識調査による「差別意識」の把握

 大阪府2000年調査の結果から、強調しておきたい点がいくつかある。「状況認識」の影響力の大きさである。差別に対する認識が厳しいほど避けようとする傾向が強く、状況認識が行動に作用している。結婚の忌避は年齢によって使いにくい設問であるが、結婚差別をなくすのは難しいと認識している人と忌避行動の相関は高い。

 日常的な情報経路から「同和はこわい」という話を聞いた人は避けようという行動との相関が高い。このような話の影響力は大きく、「同和はこわい」などの情報に接した場合と、住宅を選ぶ際に同和地区を避けるという忌避的態度との相関が高い。

 「こわい」という話を聞いた人の反応としては、ストレートには伝染せず「そういう見方もあるのか」が過半数を占めている。必ずしも「こわい」という話を信じたわけではないが、忌避的態度も高い点に注目したい。また、状況認識として差別は厳しいと感じている人に周辺から「こわい」という情報が伝わった時に、信じないまでも忌避的な態度をとらせていると考えられる。これが「中立層」の動向として強調したい点だ。

 今後の課題として、「打ち消し要因」は部落と部落外の理解協力可能性が比較的有効だろうと考えられる。「こわい」という話を聞いても、みんなが差別しているという「状況認識」にならなければ、忌避的態度を強めない可能性がある。

 提言としては、「同和はこわい」「不公平」という言説に触れている(今後触れる可能性が高い)という事実を前提に啓発計画を作るべきだと考えている。そういう情報は「ウイルス」であり、どんどん感染していくが、それに対抗する「免疫」を持つべきだと考える。しかし、これは何にでも効く抵抗力(人権意識)ではなく、「同和はこわい」というウイルスにのみ対抗する免疫である。その「ワクチン」をつくるために無害化されたその情報に触れる必要がある。充分な準備の上に立った差別的な情報の教材化である。この免疫力を付けることができれば、劇的な効果があがると予想している。
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3.「差別意識」概念の再検討の必要性

 差別は厳しい、部落と部落外には対立関係がある、差別する人がたくさんいるという「状況認識」によって忌避的態度が強くなることが明らかになった。ではその認識と「差別意識」とはどういう関係なのか。

 これまで「状況認識」は厳しいとしても、その人の「意識」さえしっかりしていれば差別的な行動はとらないと考えられてきた。しかし、そういう「人権意識」を育てるというのはかなり難しい要求である。「状況認識」が厳しく忌避的行動をとる人には、関わらないことによって得をする(損をしない)という自己認識がある。そして部落と差別情報の間にあって、その人間関係の中では忌避的にならないと自分まで排除される可能性があるという感覚がある。それは「価値観」とは違い、そうしないと自分までが不利益を受けるのではないかという関係性の問題である。その関係は通常目には見えない関係だが、それを明らかにする必要がある。

 「差別意識」とは被差別者に向けられたまなざしであり、差別・被差別の二者の関係だけで説明されてきたが、「三者関係論」とは差別、被差別に加えて第三者を想定する。私は「共犯者」という言葉で概念化している。ある人が被差別者を攻撃するには、そのことによって誰かを自分の仲間に入れようとか利益を守ろうという第三者との関係が必ず存在する。

 被差別者を排除することによって強化される関係である。その時、例えば「仲間はずれ」は主要な意図ではなく結束することが意図だとすれば、そこから必然的にマイナスイメージが形作られ、被差別者へ差別のまなざしが向けられる。つまり差別する側の都合から言えば、差別する側の内側にこそ主要なまなざしが向けられている。差別や攻撃が表面化する局面では被差別者へのまなざしが強調されるが、むしろその背後にある仲間に向けられたまなざしにこそ注目する必要がある。

被差別部落へのイメージの質問は被差別者へのまなざしを意識した質問だ。ここでは周囲に向けられたまなざし、すなわち「状況認識」を重視している。周囲はみんな差別するんじゃないかというまなざしであり、部落に関わったら周囲は自分のことをどう見るのかというまなざしである。差別意識や偏見だけではなく、ここにも注目すべきだ。

また、「差別意識」は悪意なのかという問題がある。差別、差別意識という言葉に込められた強力な否定的ニュアンスの悪影響を考慮すべきだ。差別したら全人格を否定されてしまうという恐れが一般的にはあるのではないか。また、差別行為の背景には必ず差別意識が存在するという推定があると考えられる。無意識の差別というか、人は差別意識(悪意)がなくても差別をするということの十分な理解が必要ではないか。差別意識=悪意という狭い理解では、かえって硬直した反応しか返ってこない可能性がある。

今後、パンフレットなどでこんな啓発はできないか。「同和はこわい」などの噂に対して一部の人はすぐに同意し、また一部の人はその噂に反発している。多くの人は「そんな見方もあるのか」と中立的な立場にたっているが、その噂を打ち消すまでには至っていない。そんな噂を一人歩きさせないようにしましょうという提案をしてはどうか。このデータをそういう教材にできないかと考えている。差別意識だけではなく、「状況認識」についても今後の啓発を考えるバリエーションに加えてはどうかという提案である。 (椎葉正和)