報告者である白石さんが担当されている、人権情報マネージメントとは、何を目的に行われていて、どんな背景を持っているのか、から話が始まった。
人権を守ったり、人権のために何かをするといった場合、いかに情報をうまく伝えられるかによって、人権のための活動の効果に違いのあることが認識されるようになり、人権情報マネージメントの重要性が増大したそうだ。
そこで、“いかに情報をうまく伝えるか”という課題は、国連人権高等弁務官事務所で働く人々に、単に人権に関する専門知識を持った集団から、情報の使い方・伝え方をも知る集団への変容を迫ったようである。限られた予算、人的資源の中で、手探りで人権情報マネージメントのためのシステム作りがされてきた。その仕事の中の大きな成果が、1996年に立ち上がった、国連の人権のホームページだ。そこには、「人権の活動に関わる人がアクセスすれば、国連の人権に関する情報が取り出せる状況の創出」という願いが込められている。
“いかに情報をうまく伝えるか”という人権情報マネージメントの課題は、だれに、どういう情報を、どのような形で、どのような目的で伝えるのかという問いかけと共にある。人権情報マネージメントが、人権の保護・促進における重要な手段だと意識される以前は、それらの問いかけが発せられることもなく、人権情報は広報部の一部で扱われ、国相手に情報を流すのが主流だったという。
ところが今や、人権情報マネージメントに携わっている人が念頭においているのは、「一般の人や、NGO等で人権の保護・促進に関わっている人が必要とする情報を、その需要に応える形で提供していく」という考えである。国連が想定する、人権情報の受け手が、国から一般の人・NGOに移行したのだ。それは、劇的な変化であると同時に必然である、と私は感じた。
白石さんは、人権情報と人権活動の相関関係を、次のように解説した。人権の活動が活発になると、情報が増え、意識が高まる。意識が高まると、活動が活発になり、情報が増える。人権の保護・促進活動の主体が、市民中心になればなるほど、関連する情報を利用するのは市民になる。白石さんが、冒頭と最後に話された、次のことが印象に残っている。
「国連から人権の話を聞く時代でもない。」
「現場で、地域で、人権の保護・促進に関わっている人が人権情報マネージメントの主導権をとる必要がある。」
最後に、どのような形で情報を流すかに関して、会場から投げかけられた問いかけを含めて記しておきたい。情報量の飛躍的増大、通信情報技術の進展を考えると、インターネットを介した情報提供ぬきに、国連の人権情報マネージメントはありえないと思うが、一方で多くの人が、インターネットにアクセスできない環境におかれている現状をどう考えるかという質問が出された。私自身、国連の人権のホームページの言語(英語)がもたらす限界を感じていたので、白石さんの回答に注目した。
まず、インターネット接続が困難な地域においては、CD-ROMなどが使用されている例が紹介された。また、国連が提供する人権情報を何ら加工されていない状態で必要としている人権活動家や、国連人権情報に興味を持っている人は、ある程度ホームページにアクセスできる状況にあり、民間の一般の人達には、それらの人達から情報が伝わることが望まれているようだ。
国連の人権情報と後者の間にはクッションが必要だという。国連が出す人権情報を単に翻訳したものが、今まで余り役に立ってこなかった例から学ぶべきことは、国連の人権情報を、後者に有効なように、情報の取捨選択をしたり、手を加えたりする、その土地に根をおろした人権活動家や人権活動団体の存在の重要性である。その際に注意を要することは、人権の普遍性を損なわずに、地域的特色やニーズを活かしたものを作ることである、というのが白石さんの回答であった。
国連の人権情報マネージメントは、1993年にウィーンで開催された世界人権会議で沸き起こった、人権の普遍性をめぐる大議論と無関係ではない、奥の深い課題であるようだ。そしてまた、日本で人権の活動に関わっている人達に、クッションの役割が果たせているかを問うているのだ。国連の人権マネージメントと、地域の人権活動団体との連携が真剣に模索されるべき時期にきていると感じた。 (小西 裕美子)