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フィリピンで人権を語る際、必ずマルコス大統領時代に続発した人権侵害事件が引き合いに出される。新政権を迎え、かつてのような事件の再発や、マルコスのような独裁者の再来を防ぐということが前提となっているのである。
アキノ政権の誕生した1986年、政府は「逮捕・捜査担当官に対する人権教育」の実施を決めた覚書および、「人権を最大限尊重するための教育」を促す行政令を出すなど、人権教育の具体的な政策に着手した。
1987年に公布された新憲法では、学校のカリキュラムの中に人権教育を導入することが盛り込まれた。また、憲法は人権委員会の設立を定めたのである。これは、行政から独立し、予算も独自に割り当てられるという点で、アジアで最初の国内人権機関である。
新しく誕生した人権委員会は、軍と警察による人権侵害を注視する一方で、教育省を始めとする関係省庁と協力して、人権教育のコンセプトやカリキュラムの草案作成に着手した。その対象領域は、国レベルだけでなく州や市町村、そして「コミュニティ人権行動センター」の設立にみられるような地域レベルをカバーする裾野の広いシステム作りが試みられた。
94年12月の国連総会における「人権教育のための10年」の決議に先立つ同年8月、フィリピン人権委員会はこの「10年」を想定して行動計画を発表した。また、95年9月には省庁間との調整を経て、人権教育を含む「1996−2000年フィリピン人権計画」が作成され、ラモス大統領も推奨するというほど政府は積極的な取組の姿勢を見せた。
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一方、非政府組織(NGO)の側からの要請を受け、政府、非政府組織、学術界の3者の参加する全国協議会を経て、97年2月に「国内行動計画」がまとめられるに至った。つまり、これで3つの行動計画(案)が出たわけである。
3番目の計画では、すべての国民が社会正義、人間的尊厳の普遍性などの原則を身につけて、人権に関する知識、価値、態度等を有し表現することのできる社会をめざしている。また、社会の異なった分野におけるすべての人々の人権尊重をめざし、とりわけ社会の片隅に追いやられた人々の人権への配慮をうたっている。そのための法律や機構の整備などの具体的な提案や構想があげられている。
この行動計画はNGOの見解が多く採用された内容であることから、3つの計画の中では最も充実した内容になっている。しかし、抽象的であったり、内容の検討を要する個所も散見され、完成度を高める必要がある。
一方、97年度から一部地域の学校では人権教育のための105のモジュール(単位)が試験的に開始されているなど、人権教育はすでに進行している。こうした実践もたたき台にして、効果的な「国内行動計画」の完成版を早急に練り上げる必要がある。