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2005.10.13
部会・研究会活動 <国際人権部会>
 
国際人権部会・学習会報告
2005年07月09日
現地調査報告ースロヴァキアにおけるスィンティ・ロマの現状

小川 悟(関西大学名誉教授)

  2005年6月、ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会の要請で、反差別国際運動(IMADR)がスロヴェキアにおけるロマの人々に対する差別の実態調査を行った。今回の部会では、この調査に参加された小川悟さんに報告をしていただいた。

スロヴァキアにおけるロマの人びと

古代から文化が栄えたスロヴァキアは、1918年に隣国チェコと合体し、チェコスロヴェキアとなった。その後、ナチスの戦略によりスロヴァキアはチェコから分離した。ナチスの支配下、ロマに対する差別は厳しく、国外への移動も認められなかった。スロヴァキア内の収容所で多くのロマが生体実験の実験台にされた。スロヴァキア人は占領支配者へのレジスタンスを行った。その中にロマも加わった。自分たちも人間として確立ができると考えたからだ。ナチス崩壊で戦争が終結、スロヴァキアは再びチェコと合体し、チェコスロヴァキアとなった。90年代始め東欧で起きたビロード革命(社会主義体制崩壊のこと。無血でビロードのように滑らかに社会が変わったから)で、再びスロヴァキアとチェコは分離した。

ロマの現状

ビロード革命後、ロマは政治的主張を強め、議会に代表を送ったり、初のロマの新聞を発刊した。しかし、スロヴァキアが国家経済を発展させるに伴い、ロマの活動も制約を受けるようになった。個人的な推量であるが、その頃から東西スロヴァキアのロマの間に格差が生じ始めたのではないだろうか。東スロヴェキアのロマたちは深刻な貧困に支配されている。一方、西は豊穣であり、教育のレベルが高い。

 2004年、スロヴァキア政府は"福祉切り捨て"政策で、ロマへの生活保護を一番に断ち切った。仕事もなく、他の国に出稼ぎに通うことも法的に禁止されている村で、ロマたちは飢餓一揆に訴えた。1日5ユーロ(600円程度)の生活保護で一家が食べなくてはならない。いくつもの町でロマがスーパーを襲い、食べ物を奪った。逮捕者も55人出た。新聞は、「ロマは商店を襲って貴金属を奪った」と差別的に報じた。スロヴァキアにはロマの組織が3つある。それら組織は飢餓一揆に参加した人々を救援しなかった。その代わり、「法律を守り、秩序を守ろう。社会を騒がしてはいけない」と呼びかけた。

実態調査の内容

今回は、ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会とIMADRによるスロヴァキアのロマの実態調査が目的であった。スロヴァキア政府とも会い、当局がロマの今日的情況についてどのような見解をもっているかを尋ねた。しかし、政府関係者は問題の核心には触れず、美しい言葉を並べただけであった。そしてロマの子どもたちを対象にしたモデル校に案内してくれたが、明らかに貧しいロマの家庭の子どもたちが行けるような学校ではなかった。プレショフにあるロマの居住区を短時間訪れることができた。川がすぐ横に流れていて、そこから水をとって生活水にしている。その川が氾濫すると、バラックの家は流されてしまう。5、6年前にも氾濫して多くの家が流された。しかし政府は家を建てず、十字架を建てて被害者のお墓にした。そういうものを作って、村人の人心を懐柔しようとしている。そこの居住者に話しかけようとしたら、案内役のNGOの人から「出発」と急かされ、言葉を交わすこともできないままその場を立ち去った。

私たちはスロヴァキアのロマに会うために来たが、それが十分果たされなかった。いつか再び訪れて、ロマの人々に会いたいと思っている。

(文責:小森恵)