部落問題と「人種」
日本で2年間滞在して、部落問題の研究を行った。帰国後、部落問題について講義をしていると、「部落民は他の日本人とどこが違うの?」という質問をよく受ける。「どこも違わない」という私の答えにもかかわらず、「外見が違うの?」「言葉が違うの?」などの問いが続く。「絶対にどこか違うところがあるはずだ」と主張する人もいる。
アメリカでは、人びとは部落問題を「人種」の視点から見ようとする。日本人は部落問題を人種問題とは考えない。人種は自然に存在するものではない。作られた社会構造である。人種と肌の色を混同してはいけない。人種は肌の色の違いには何らかの重要な意味があるというイデオロギーを基にした概念である。人種的に階層区分された社会では、ある集団は肯定的なイメージと、その他の集団は否定的なイメージと結びつけられる。アフリカ系アメリカ人は、「異なる人びと」そして時には「危険な人びと」という印をつけられてきた。それは、日本社会における部落民につけられた印と類似している。
「人種プロファイリング(人種による選別)」はアメリカでよく知られている。とりわけ、大都市の警察は、長年、人種プロファイリングを使い、マイノリティ・コミュニティを重点にした犯罪捜査をしてきた。アフリカ系アメリカ人が豪華な車に乗っていれば、警察に呼び止められ、黒人という理由だけで取り調べを受けることはよくある。人種プロファイリングは9・11以降大きな議論を呼んだ。空港でセキュリティチェックを行う職員は、テロリストは大抵アラブ人であるという誤った想定で、外見がアラブ系の人なら誰でも詳しく検査した。やがて、カラードの人びとが特別な検査対象になっていることが明らかになり、アラブ系の人びとが人権侵害として集団訴訟を起こしたために、とりやめになった。
私は"住所"が今日の部落問題で大きな意味をもつと考える。アメリカ人に部落問題を理解してもらうため、「居住地プロファイリング」という言葉を使っている。居住地はアメリカの人種問題を考える上でも意味がある。ニューオリンズのアフリカ系アメリカ人や貧困層にとりわけ大きな被害をもたらしたハリケーンカトリーナは、世界の人々に、階級格差から生じる居住地の分離は今もアメリカの問題であることを知らしめた。分離は数十年前に法律で禁じられるようになったが、マイノリティは、今も、貧困者が多く、犯罪発生率の高い地域に集住し、社会資源へのアクセスを欠いている。この状況をアメリカの人種主義の面からだけで見ることはできるが、それを居住地の分離から生まれた一種の社会的孤立として見ることもできる。
人権への"ソフト"アプローチと"ハード"アプローチ
アメリカが日本の部落解放運動から学ぶべきことはたくさんある。解放運動は、日本の行政が採用している人権への"ソフト"アプローチと、アメリカで支配的な人権への"ハード"アプローチを、バランスよくとりいれた人権アプローチを構築しつつあると思う。
日本の"ソフト"アプローチには次の要素が含まれる:
- ポスターや標識などによる市民を対象にした人権啓発。
- 分かりやすい言葉で人権を説明した青年層へのアプローチ。
- 人権写真コンテストや作文コンテストなどによる市民参加型啓発。
- 処罰よりも回復や防止の側面を強調。
- 市民も人権の違反者になりうるとして、個々の市民による人権侵害防止の自覚。
- 国内の人権問題に焦点。
このような人権の定義は、人権とは、そもそも市民の自由を侵害する国家の力を制限するために考え出されたものであるという事実を見えなくさせる。政府は自らを人権の促進者として描いている。法律によるのではなく、他者への思いやりによる人権保護を促すことで、人権は権利や特権ではなく、慈悲や博愛の産物に作り変えられている。さらに、高齢者に電車の座席を譲るなど、日常の出来事で人権を語り、社会に飽和させることは、もっと深刻な人権問題を考える余地を奪いかねない。
対するアメリカの"ハード"アプローチは以下の特徴をもつ。
- 人権は基本的に法律問題。
- 国内の人権問題に関する議論が比較的少ない。
- 一般市民を人権課題に巻き込もうとしない。
- 人権侵害について懲罰を強調しすぎ。
- 矯正や防止措置(教育など)に余り力点が置かれていない。
- 他の国で起きた人権侵害に注目が行きがち。
法律に頼るあまり、日本のソフトアプローチと同様に、人権の潜在的侵害者としての国家は無視されている。人権問題を巡って世論が沸くことはほぼない。一般市民はそのような問題は公務員にまかせればよいと思っている。市民の"アメリカの価値観"への揺ぎない信奉は、人権問題を制度的なものではなく、常道からはずれた出来事として見させてしまう。このような狭いアプローチは、アメリカでしばしば無視される社会的権利や経済的権利など、もっと複雑な問題を対処するには不十分である。
部落解放運動は "ソフト"と"ハード"のバランスのとれたアプローチを編みだし、市民的、政治的、社会的、経済的権利の間の均衡をとりながら活動をしてきた。日常の人権侵害を止めさせる措置を政府の責任としてとらせようとする運動が様々な形で行われてきたし、地方自治体に社会的権利や経済的権利を守る責任があることを喚起する政治的課題を追求してきた。
滞日中、印象深かったのは、私が住んでいた地区の解放同盟支部が地元住民のために具体的な成果を勝ちとるため、政治的力を上手く行使していたことだ。それら成果は部落地区の住民に独占されるのではなく、本当にそれを必要としている人びとすべてに届くよう試みられていた。すべての人に利益をもたらす政策の確立を目指し、社会変革に挑んできた解放運動は、世界の社会運動の希望の光になる。