スリランカの人権状況が悪化している中、第17回ヒューマンライツセミナーに招かれて来阪したニマルカ・フェルナンドさん(反差別国際運動理事長)を招いて、標題のテーマで国際人権部会と女性部会の合同部会を開催した。
2004年12月26日に起きたインド洋大津波は、スリランカ東部・北部の海岸地域に大きな被害をもたらした。20年におよぶ内戦を続けてきた政府とLTTE(タミールイーラム解放の虎)の間に停戦合意が成立し、和平に向けて進みだした2002年から2年目のことだ。内戦で戦禍をこうむり移住を強いられてきた人たちが、再び津波で移住を余儀なくされ、生活の基盤を奪われた。
被災地の大半はLTTEの影響力が大きな地域であり、政府とLTTEは共同して救援するための枠組みを作ったが、それに反対する一部が連立政権を離脱した。同2005年11月の大統領選挙はすでに暗雲たちこめていた和平交渉をさらに困難にした。対LTTE強硬派の候補者がでたことにより、タミール人の多くが選挙をボイコットした。
結果的には強硬派のラジャパクサ大統領が誕生し、シンハラ至上主義の色合いがさらに濃くなった。アメリカがかかげる「テロとの闘い」に同調する政府と、「自決の闘い」を呼びかけるLTTEとの対立と緊張が再び高まり、ついに2008年1月、政府は停戦協定を破棄した。こうした一連の動きは、北部、東部に集中するタミール人や少数民族に大きな負担を強いている。内戦から津波、そして今再び軍事的緊張の中、避難民は増え続けており、2006年4月からでも約12万人の避難民を出している。避難先の生活条件は厳しく、衛生環境も悪い。
津波直後には国連や国際NGOが現地に入り救援活動を展開した。緊急支援が一段落ついた後も、人道支援のためにいくつものプログラムが続けられてきた。しかし、政府とLTTEとの軍事的緊張が高まるにつれ、そうしたプログラムの続行もますます厳しくなり、現地雇用のスタッフを残して外国人が引き上げていっている。政府は特に緊張の高い北部への国際人道支援のアクセスに制限をかけ、今は、国際赤十字社以外はどこも入れない。国連難民高等弁務官事務所さえ入ることを許されていない。
テント、食糧、子どものミルク、医療など最低限の物資さえ保障されない中、避難民の生活と生命が危ぶまれている。その中で、幾重もの負担を強いられるのは女性や子どもである。重圧の中どこかに消えてしまった夫のあと、残された家族を支える女性。収入の道をたたれ自暴自棄になりお酒に走る夫。不満を妻への暴力に転嫁する夫。それでも女性たちは家族を守るためにふんばっている。一方、多数の子どもたちがLTTEに少年兵としてつれていかれている。
今、スリランカの人権状況は非常に悪い。2005年11月に現政権ができて以降でも、失踪者は2,500人にのぼる。言論の自由も脅かされ、この間14人のジャーナリストが殺害されている。こうした人権状況は軍事緊張地域に限ったことではない。首都コロンボでも起きている。
日本はスリランカの和平のために、東京で復興に関する国際会議を開催した。元国連事務次長の明石康さんを日本政府代表として和平交渉のためにスリランカに派遣した。そうした日本の立場をさらに強めて、和平実現と人権確立のために動いてほしい。日本の市民の皆様には、政府がさらに積極的になるように働きかけてほしい。