調査研究

各種部会・研究会の活動内容や部落問題・人権問題に関する最新の調査データ、研究論文などを紹介します。

Home調査・研究部会・研究会活動マスコミ部会 > 学習会報告
部会・研究会活動 <マスコミ部会>
 
マスコミ部会・学習会報告
2000年1月27日
明治・大正期の新聞報道にみる部落問題?

(報告)吉田栄治郎(奈良県立同和問題関係史料センター)

------------------------------------------------------------------------

 奈良県立同和問題関係史料センターとして、時代による新聞報道の変化、その背景と部落問題認識に与えた影響について検証するために、今回の企画展を行った。

 明治・大正期の奈良の地方新聞、日新新聞、養徳新聞、大和新聞、大和日報、奈良新聞、大和タイムス、奈良朝報、奈良日々新聞など現在残されているものをすべて調査した。

 新聞記事の傾向をみると、以下の通りである。

 明治期の初期の内容は、部落に対する評価が高い。当時、学校建設は地元の負担であるが、被差別部落における学校建設の動きを好意的に伝えている。

 明治10年代の松方デフレ期に被差別部落の貧困化が起こっている。1町から1町5反位の自作農が土地を失い、没落している。部落外の農民でも同じ傾向があるが、部落内の方が早く土地を失っている。

 明治20年代になって、市町村合併の動きの中で、貧困化した部落との合併を拒否するという差別事件が増えてくる。合併をめぐるトラブルは、地域的に集中して起こっているが、その原因の解明は今後の課題である。

 明治30年代後半から40年代にかけて、部落改善運動がはじまる。明治33年に内務省を中心に貧民研究会ができる。明治36年に奈良県知事になる河野忠三もそのメンバーである。若手の内務官僚がその研究会に結集し、部落の当時の状況を放置できないと真面目に施策を考えていた。

 この時期の新聞を調べる中で、部落差別の「マスコミ起源論」という印象をもった。その理由は、明治30年代後半になると、新聞の報道は、部落を徹底的に貶める、劣悪な実態で貧乏人の塊であるという内容になる。主観的には、県が推進しようとした矯風改善事業に対する県民合意を得るために行われた報道と考えられるが、部落外の県民に部落に対するマイナスイメージを与えたのではないか。

 明治40年代後半になると、部落内部から松井庄五郎に代表される人々が登場し、大正元年に大和同志会が結成される。大和同志会は、融和的という批判を受けるが、そうではなかったと考えている。彼らは、部落差別は物質的な問題では解決しないと主張している。

 次に、米騒動関連の新聞報道、そして水平社関連のものがある。部落に対する心性、イメージの中で、「部落は恐い」という意識が根強くあるが、それが形成されたのは大正12年の水国争闘以降であると思われる。

 今日の部落観の形成にマスコミが果たしてきた役割を今後さらに実証的に明らかにする必要があると考えている。(加藤敏明)